「自分の父を追放する」経験をした武田信玄
幼少期や青年期をどんなふうに過ごしたのか。わが身を振り返っても、そのころの体験がのちの人生に与える影響は大きい。組織を束ねるリーダーの場合は、その影響が下で働く者たちにまで及んでいくことになる。
徳川家康はわずか6歳で親元を離れて、人質として今川氏や織田氏の間をたらい回しにされている。結果的には、今川氏を見切って織田氏につくことになるが、きっかけは織田信長が「桶狭間の戦い」で今川義元を討ったからであり、自ら動いたわけではなかった。
今川氏から離れた家康は、信長に絶対服従を貫いた。その信長の死後は、豊臣秀吉のもとで勢力を延ばして、秀吉の死後に天下取りへと動き出す。明日をも知れぬ幼少期の体験から「大きな傘の下で自分はどのように振る舞うべきか」を、家康はつねに考えてきたといってよいだろう(『今川を裏切る徳川家康、織田信長には従い続けた訳』参照)。
では、そんな家康に立ちはだかった甲斐の武田信玄は、どんな幼少期を過ごし、その体験から何を学んだのだろうか。早々に親元を離れた家康とは対照的に、信玄は父である武田信虎の背中をみて育った。
そして、信玄は「自分の父を追放する」という、家康とはまったく異なるタイプの壮絶な体験をしている。信虎の半生を振り返りながら、信玄の幼少期も探ってみよう。
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