信玄は人材を大切にして、うまく活用したことで知られる。それは信虎を反面教師にせざるをえなかったからではないだろうか。天文16(1547)年、信玄は分国法「甲州法度之次第」(信玄法度)を定めると、こんな条項まで記している。
「自分がもしこの法に反したときは、身分の高い低いは問わず、目安箱に自分を訴えてよろしい」
当主が自身を縛るような条項を加えているのは珍しい。立派な心掛けだが、家臣から反発されないよう、誰からみても清廉潔白であろうとした信玄の気苦労を感じる。
家臣を恐れたから大切にした
家康もまた信玄と同様に、人材を大切にしたことが、さまざまな逸話から伝わってくる。そして父が家臣の裏切りにあっている点でも同じだ。家康にいたっては、父の松平広忠は追放どころか家臣の裏切りによって殺されてしまい、さらにさかのぼれば、祖父の松平清康も家臣に命を奪われている。
家康と信玄がともに人材の使いどころに長けていたのは、2人が初めからリーダーとしての資質に優れていたからではなく「家臣は自分の足元をすくう存在である」ということをごく身近な父親を通して、痛感していたからではないだろうか。
家康と信玄――。過酷な幼少期を乗り越えた2人が好敵手となるのは、いわば必然。一向一揆を抑えて三河の地を平定した家康は、ついに信玄と対峙することになるのだった。
【参考文献】
大久保彦左衛門、小林賢章訳『現代語訳 三河物語』(ちくま学芸文庫)
宇野鎭夫訳『松平氏由緒書 : 松平太郎左衛門家口伝』(松平親氏公顕彰会)
平野明夫『三河 松平一族』(新人物往来社)
所理喜夫『徳川将軍権力の構造』(吉川弘文館)
本多隆成『定本 徳川家康』 (吉川弘文館)
柴裕之『青年家康 松平元康の実像』(角川選書)
二木謙一『徳川家康』 (ちくま新書)
日本史史料研究会監修、平野明夫編『家康研究の最前線』 (歴史新書y)
菊地浩之『徳川家臣団の謎』(角川選書)
大石泰史『今川氏滅亡』 (角川選書)
佐藤正英『甲陽軍鑑』 (ちくま学芸文庫)
平山優『武田氏滅亡』 (角川選書)
笹本正治『武田信玄 伝説的英雄像からの脱却』 (中公新書)
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