幸いにも健二と葵は、車の中でのいさかいの後は、長い待ち時間の間も笑顔を絶やさなかった。人気のアトラクションには一つしか乗れなかったけれど、イッツ・ア・スモールワールドのゴンドラが最後のゲートを通過する時に願い事ができた桐山少年は満足していた。
帰りの車は健二が運転した。
桐山少年は後部座席で葵の膝を借りて眠っていた。数年ぶりの家族三人での休日に桐山少年は素直に喜び、無邪気にはしゃいだために疲れたのだ。
「ユウキ、着いたわよ。起きなさい」
葵に起こされ、向かった先は自宅近くの喫茶店だった。
夕食を取るつもりで神保町の駅前に車を止めたが、クリスマスのせいで、どこの店も予約が一杯で入れなかった。しばらく歩くと、人通りの少ない小さな路地にこの喫茶店の看板が出ていた。健二が中を確認に行くと、クリスマスだというのに客は一人で、軽食も、ケーキも出してくれると言う。
桐山少年は家族三人でクリスマスらしいクリスマスを祝えることに心を踊らせた。
元々、この喫茶店には二人掛けのテーブル席しかなかったが、無口で大人しそうなウエイトレス、時田数が桐山少年の席を用意してくれた。
音楽のないクリスマスの夜
「いらっしゃいませ。飲みものは何にされますか?」
「車なのでノンアルコールのビールを。妻にはシャンパン、この子にはオレンジジュースを」
「かしこまりました」
声をかけてきたのはコック服を着た時田流である。流は身長二メートル近い大男で、二歳くらいのくりくりとした大きな瞳の女の子を抱いていた。名はミキ。流が大きすぎて胸元にしがみつくミキはリスか何かの小動物にも見える。
クリスマスなので、店内にはツリーが飾られているのだが、クリスマスソングは流れていなかった。唯一、聞こえてくるのはキッチンの奥でミキが口ずさんでいる「ジングルベル、ジングルベル」という呪文のようなささやきだけ。
普通の客であれば音楽のないクリスマスの夜など物足りないし、違和感があったに違いない。
だが、健二も葵も気にする様子を見せなかった。三人は、数が静かに運んでくる食事を取りながら、今日一日ディズニーランドであった出来事を楽しく思い返していた。
クリスマスだというのに、他の客は誰も来ない。いるのは一番奥の、冬なのに半袖の白いワンピースを着た女性だけ。
まさに親子水入らず。桐山少年にとっては、数年ぶりの幸せな時間を過ごす思い出になるはずだった。だが、その喫茶店で、桐山少年には悲しい現実が待っていた。
(第3回に続く、3月29日配信予定)
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