さて、デフレ対策の目的が経済の活性化にあったように、少子化対策の目的は、少子化それ自体の解決にあるのではなく、個々の国民が快適に暮らすことができて、加えて経済がより活性化するようになることにあるはずだ。
少子化が進むと、これらは絶対に達成できないのだろうか。快適な暮らしと、経済の活性化が達成できるなら、人口は減ってもいいのではないだろうか。
例えば、「現役世代2人で高齢者1人の面倒を見る」というといかにも大変に聞こえるが、仮に現役世代1人当たりの生産性が2倍になっているなら、現在の負担に換算して「4人で1人の面倒を見る」という実質なので、負担はぐっと楽になる。
1人当たりの「生産性」を上げる「2つの方法」
問題は1人当たりの「生産性」にある。労働者1人当たりの生産性を上げる方法は2つある。
1つは、資本をより潤沢に投入することだ。例えば、介護の分野なら、高齢者をより元気にするための医学に投資すべきだし、介護ロボットをはじめとする道具的なものの進歩がありうる。オンラインと、いわゆるAIを併用した介護サービスにも進歩の余地があるだろう。
もう1つは、流行の言葉で言うなら「人的資本」に投資することだ。一人一人がもっと稼げるようになる「人間への投資」を考えるべきだ。端的に言って、教育投資を「極端に」増やすべきだろう。
OECD(経済開発協力機構)のホームページで、公的教育支出(対GDP比)を見ると、その余地が大いにあることがわかる。
例えば、2020年で高等教育まで含む公的教育費支出のOECD平均はGDPの4.1%だが、日本は2.8%にすぎない。家庭が教育熱心であることがその差を少し埋めているかもしれないが、それは家庭にとって、より重い負担が回っているということでもある。少子化の1つの原因でもあるだろう。
OECDのデータで、より衝撃的なのは、大学以上の公的教育費支出で、日本はたったの0.45%で、OECD平均0.93%の半分にも満たない。ちなみに第2次世界大戦を日本と一緒に戦ったドイツは1.04%だ。
大学の数や、私立・公立の別など個々の国の事情による差はあるとしても、高等教育に対する日本の公的な投資の乏しさには愕然とする。日本人がよく気にする大学の国際ランキングも下がるのも仕方があるまい。
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