今もときどき思い起こす風景がある。ときは今からちょうど25年前の1998年3月12日、場所は建て替えられる以前のホテルオークラである。
「終わった人」だと思われていた元日銀の速水優氏
つい先ほどまで行われていた財界人の朝食会がお開きとなり、出席者が帰る場面である。
「〇〇銀行、××さま~」
「〇〇製鉄、××さま~」
ホテル側のコールに沿って、黒塗りの高級車がエントランスにやってきては、さっきまでの出席者を乗せて次々と去っていく。
「お先に失礼します」と、何度も声をかけられるのだが、「日商岩井の速水さま」は、なかなか呼んでもらえない。仕方がないからそのお伴をしながら、雨が降る中を社有車が来るのを待っていた。
隣に立っている速水優(はやみまさる)氏は、戦後すぐに日本銀行に入行し、主に国際畑を歩んだ。ロンドンとニューヨークに駐在し、最後は国際担当理事を務め、1981年に退任した。それから日商岩井に迎えられ、後に社長、会長を歴任。1991年4月から1995年4月までの4年間は、経済同友会代表幹事を務めた。筆者はその後半2年間の秘書役であった。
このとき(1998年3月)の速水相談役は、間もなく73歳の誕生日を迎えるところであった。今の元気な70代とは違い、当時の大正生まれはさすがに寄る年波が隠せない。そして次の株主総会が来ると相談役の任期も切れて、いよいよ速水さんは「自由な人」になるはずであった。
そもそもクルマの到着が遅れているのも、長年仕えたベテラン運転手が定年になってしまい、慣れない人に代わったばかりであったから。「あと数カ月のことなんだから、延長してあげればいいのに、会社も冷たいなあ」などと考えたものである。
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