植田和男・新日銀総裁が抱える「5つの超難問」 今は25年前の速水氏就任時と不思議と似ている

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日銀理事、日商岩井(当時)社長・会長、経済同友会代表幹事を歴任後、1998年に第28代日銀総裁に就任した速水優氏。今回の植田和男新総裁の船出の環境は、25年前と共通点が多い(撮影:大隅智洋、高橋孫一郎)

今もときどき思い起こす風景がある。ときは今からちょうど25年前の1998年3月12日、場所は建て替えられる以前のホテルオークラである。

「終わった人」だと思われていた元日銀の速水優氏

この連載は競馬をこよなく愛するエコノミスト3人による持ち回り連載です(最終ページには競馬の予想が載っています)。記事の一覧はこちら

つい先ほどまで行われていた財界人の朝食会がお開きとなり、出席者が帰る場面である。

「〇〇銀行、××さま~」
 「〇〇製鉄、××さま~」

ホテル側のコールに沿って、黒塗りの高級車がエントランスにやってきては、さっきまでの出席者を乗せて次々と去っていく。

「お先に失礼します」と、何度も声をかけられるのだが、「日商岩井の速水さま」は、なかなか呼んでもらえない。仕方がないからそのお伴をしながら、雨が降る中を社有車が来るのを待っていた。

隣に立っている速水優(はやみまさる)氏は、戦後すぐに日本銀行に入行し、主に国際畑を歩んだ。ロンドンとニューヨークに駐在し、最後は国際担当理事を務め、1981年に退任した。それから日商岩井に迎えられ、後に社長、会長を歴任。1991年4月から1995年4月までの4年間は、経済同友会代表幹事を務めた。筆者はその後半2年間の秘書役であった。

このとき(1998年3月)の速水相談役は、間もなく73歳の誕生日を迎えるところであった。今の元気な70代とは違い、当時の大正生まれはさすがに寄る年波が隠せない。そして次の株主総会が来ると相談役の任期も切れて、いよいよ速水さんは「自由な人」になるはずであった。

そもそもクルマの到着が遅れているのも、長年仕えたベテラン運転手が定年になってしまい、慣れない人に代わったばかりであったから。「あと数カ月のことなんだから、延長してあげればいいのに、会社も冷たいなあ」などと考えたものである。

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