実は信長に強気?姉川の戦いに見た家康の頑固さ 懇願する信長に対し、一歩も引かなかった家康

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さすがの信長も、ここで援軍に帰られてはマズイと思ったのだろう。「家康殿の言われたことよくわかった。そこまで思ってくれるのも、有難い。家康殿に一番隊を頼もう」と折れた。

一番隊予定の者たちからは「急に二番隊になれと言われても、戸惑ってしまいます」との不満が出たが、信長は「出しゃばりの若造が訳も知らず何を言うか」と大声で黙らせたという。家康の軍勢3000は、一番隊となり、姉川の戦いで「敵の陣を打ち破り、追いかけつつ、ここかしこで敵を殺す」(『三河物語』)という戦果を挙げたようだ。

信長は本陣近くまで攻め寄せられたが、家康が敵陣深く攻め入ったので、難を逃れたとは『三河物語』が記すところである。信長も「今日の合戦は、家康殿の手柄で私も名を上げた」とたいそう喜んだという。

信長であっても一歩も引かない家康

一方、『信長公記』には、前述の家康が一番隊を望む話も、徳川軍の活躍も記されていない。「敵も姉川にかかって攻めて来たが、互いに押しつ押されつ、散々に入り乱れ、黒煙をあげ、鎬を削り、鍔を割り、ここかしこで思い思いの活躍をした」と記しているだけである。

姉川の戦いにおける家康の逸話からは、強烈な名誉意識と、頑固さ、信長であっても一歩も引かぬ押しの強さ、相手を説得する技術の高さ(相手の主張に理解を示しつつも、論理的な主張で相手を説諭)を感じることができる。

濱田 浩一郎 歴史学者、作家、評論家

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はまだ こういちろう / Koichiro Hamada

1983年大阪生まれ、兵庫県相生市出身。2006年皇學館大学文学部卒業、2011年皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。専門は日本中世史。兵庫県立大学内播磨学研究所研究員、姫路日ノ本短期大学講師、姫路獨協大学講師を歴任。『播磨赤松一族』(KADOKAWA)、『あの名将たちの狂気の謎』(KADOKAWA)、『北条義時』(星海社)、『家康クライシスー天下人の危機回避術ー』(ワニブックス)など著書多数
X: https://twitter.com/hamadakoichiro
 

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