実は信長に強気?姉川の戦いに見た家康の頑固さ 懇願する信長に対し、一歩も引かなかった家康
さすがの信長も、ここで援軍に帰られてはマズイと思ったのだろう。「家康殿の言われたことよくわかった。そこまで思ってくれるのも、有難い。家康殿に一番隊を頼もう」と折れた。
一番隊予定の者たちからは「急に二番隊になれと言われても、戸惑ってしまいます」との不満が出たが、信長は「出しゃばりの若造が訳も知らず何を言うか」と大声で黙らせたという。家康の軍勢3000は、一番隊となり、姉川の戦いで「敵の陣を打ち破り、追いかけつつ、ここかしこで敵を殺す」(『三河物語』)という戦果を挙げたようだ。
信長は本陣近くまで攻め寄せられたが、家康が敵陣深く攻め入ったので、難を逃れたとは『三河物語』が記すところである。信長も「今日の合戦は、家康殿の手柄で私も名を上げた」とたいそう喜んだという。
信長であっても一歩も引かない家康
一方、『信長公記』には、前述の家康が一番隊を望む話も、徳川軍の活躍も記されていない。「敵も姉川にかかって攻めて来たが、互いに押しつ押されつ、散々に入り乱れ、黒煙をあげ、鎬を削り、鍔を割り、ここかしこで思い思いの活躍をした」と記しているだけである。
姉川の戦いにおける家康の逸話からは、強烈な名誉意識と、頑固さ、信長であっても一歩も引かぬ押しの強さ、相手を説得する技術の高さ(相手の主張に理解を示しつつも、論理的な主張で相手を説諭)を感じることができる。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら