「リスキリングせよ、さもなくば自己責任」の未来 「ガンダム」が描いた「デジタル社会」への適応

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身体は自然です。人間は自然のすべてを解読できたわけではありませんが、自然を制圧した場として都市をつくりました。都市に暮らしているとつい忘れてしまいがちですが、人間は生命という自然を体内に宿しながら、完全にはコントロールできない天候、地震などの災害とともに生きています

しかし、デジタル化を推奨する文脈では身体は自由を制限するものであり、自然は人間の不可能性を示すものとされます。身体や自然という「よくわからないもの」があるから、生活はいつまで経っても合理的にならないし、効率化も進まず、人間の本来持ちうる能力を発揮することができない。ひいては社会も良くならないという発想です。

「よくわからないもの」である身体や自然をすっ飛ばして、デジタル化された世界だけのことを考えることができれば、さらに人間は自由になることができる。そうすれば経済はより速く回り、もっと生活は豊かになる。世界経済会議の意図するところはこういったところでしょう。

「シャア」の思想がヒントとなる

これを聞いて僕が思い出したのが、1979年にテレビ放送されたロボットアニメ『機動戦士ガンダム』です。この作品の舞台設定は、人類が宇宙へ移民し始めて半世紀以上が過ぎたころだといいます。

宇宙移民が住むスペースコロニーの一つはジオン公国を名乗り、圧倒的な国力差のある地球連邦政府に対して、モビルスーツなどの最新テクノロジーを導入し、独立戦争をしかけます。この対立を象徴するキャラクターがジオン公国のエースパイロットで「赤い彗星」と呼ばれた、シャア・アズナブルです。

ちなみに、『ガンダム』の主人公はアムロ・レイというスペースコロニーで生まれた少年で、父が地球連邦軍の軍事科学者であったという関係がありつつも、意図せず戦争に巻き込まれていってしまいます。

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