ネイマールに"惚れ"ブラジルに渡った彼のその後 「自分時間」を生きてW杯選手らの語学講師に

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3年生のころ、周りが就職活動を始める中、サカモトさんは自分の進む道を見失う。大学に入った意味さえわからなくなり、退学という選択が頭をよぎっていた。「心配性の母親による過干渉が負担になっていて、期待とは違う道を歩みたい、という思いもありました」。結局、友人の説得もあって、とりあえず大学の4年目は休学する道を選択した。

その後、5年目で復学したものの再び休学。しかし、第二外国語のスペイン語を学ぶため、メキシコ留学が決定していたのが希望になった。そして三度目の休学で1年間、メキシコへ。どっぷりと現地の生活に溶け込んだおかげでスペイン語を不自由なく使えるようになると、ただの留学では飽き足らなくなった。結果、国費留学生として受け取れる奨学金を辞退して自由な立場となり、現地で人気のタコス屋で働く道を選んだ。

メキシコに渡り、地元で評判のタコスを提供する老舗屋台で働いていたころ(写真:タカサカモトさん提供)

「日本にいると、自分という人間に魅力があって興味を持たれているのか、東大生だから評価されているのか、わからなくなるときがありました。だからメキシコという異郷で、ゼロから仕事を得てお金を稼ぎ、自分の居場所を築くことは個人的なチャレンジとして大きな価値があると思いました」

縁もゆかりもなかったメキシコで、タコス作りの修行に励み、現地の人たちの中で暮らす。大学で勉強していたときには得られなかった「生きている実感」が全身にみなぎり、限りなく楽しい日々だった。

ネイマールという光

このままメキシコで暮らしてもいいと考えたが、大学を卒業するという祖父との約束を果たすため、休学期間終了に伴い大学へ戻った。だがエネルギーに満ちあふれたメキシコでの日々と、帰国後のギャップはあまりに大きすぎた。結局、卒業や就職に向けて頑張ることはできず、再び人生で立ち止まってしまう。

実はこのときすでに婚約者がいた。しかし他の学生と同じように、いまさら就職活動をするのも違う気がした。そのようなとき、一筋の光のように飛び込んできたのが、ネイマール、という存在だった。

サカモトさんにとって、子どものころは楽しくて、熱中していたサッカーだったが、感情的に怒る監督のもとで自信を失い、離れてしまった過去がある。

しかし、ブラジルの名門、サントスFCに所属(当時)していたネイマール選手をYouTubeで初めて見たとき、その喜びや創造性にあふれる姿に大きな衝撃を受けた。動画を見ているだけでサッカーに対する純粋な気持ちが呼び起こされ、久しぶりに自分もサッカーボールを蹴ってみると、鬱蒼とした気持ちが晴れていくようだった。

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