フェルッチョは、これからの経営者は技術に明るい人物でなければいけないと考えた。カリスマ性をバックに、力業で事業を進めてきた自分の役割は終わったと悟ったのだ。
そこで、彼は技術に明るくバランス感覚もある、パオロを選んだ。さらに、この突然の招集も彼流の演出であったのだろう。この“儀式”により若いパオロへの求心力を強めたわけだ。さすがである。
さて、当のパオロといえば、この重責を見事にこなし、現代のランボルギーニ各モデルへ引き継がれたスタイリングとエンジニアリングDNAを見事に作り上げた。この辺りは拙著『フェラーリ・ランボルギーニ・マセラティ 伝説を生み出すブランディング』をぜひお読みいただきたい。
豊田章男の決断にエール
フェルッチョのCEO退任にまつわるエピソードと現代の豊田社長退任のストーリーがオーバーラップしたそのワケをお伝えしたが、皆様はいかがお考えだろうか。
変革期にはいくら保守的な発想から逃れようとしても、過去の成功体験や多くの守る必要のあるモノに足を引っ張られざるをえないのは、自明の理である。筆者は豊田会長の決断はトヨタ、ひいては日本の自動車産業によい結果を残すことを確信している。
さて、パオロはこのフェルッチョからの申し出に「死ぬほど驚いた」と回想するが、彼はこうも語っている。
「社のオーナーでもあるフェルッチョは、よかれと思い製造現場のささいなところにまで口出しをして、結果的に現場を混乱させることもありました。だから、私は彼にCEO職を引き受ける際に1つ条件を出しました。それはどんなことでもすべて私に任せてほしい。“口出し一切無用”ということでした」
まだ20代の若者が、百戦錬磨のフェルッチョへはっきりと物言いをするのもたいしたものであるし、またそれを快諾するほうも相当なものである。
果たしてフェルッチョのあとを引き継いで経営を担ったパオロはその重責をまっとうし、そのおかげもありアウトモビリ・ランボルギーニは本年に記念すべき創立60周年を迎えている。豊田会長と新社長の関係もフェルッチョのケース同様、本質的な権限移譲がなされ、トヨタ自動車にさらなる発展をもたらすことを祈りたい。
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