2022年9月13日、イタリアはトスカーナ、ラヤーティコの野外劇場「テアトロ・デル・シレンツィオ」にて、フェラーリはロイヤリティーの高い顧客を集めて「プロサングエ」の発表を行った。
ここは斜塔で有名なピサ県に属し、テノール歌手アンドレア・ボチェッリ生誕の地としても有名。
そんな大自然に囲まれた地で、フェラーリ史上初の4ドア、4座モデルが披露されたのだ。これはフェラーリ創立75周年にふさわしい、業界の一大ニュースであった。
この比較的背の高い4ドアモデルとは、言ってみれば今、もっともポピュラーなカテゴリーのSUV(スポーツ・ユーティリティ・ヴィークル)である。そのデビューを「そんなに仰々しく語るべきものか」と思われるかもしれない。
故エンツォ・フェラーリのポリシー
ご承知のとおり、ほとんどのスポーツカーメーカーは、すでにSUVをラインナップし、彼らの稼ぎ頭となっている。
ポルシェは「カイエン」の発売により経営危機を脱し、現在では「マカン」とともに販売の主力としているし、フェラーリと同じイタリアのスーパーカーメーカーであるマセラティやランボルギーニも、同様にSUVを稼ぎ頭としている。
しかし、フェラーリには、単にこれまでSUVをラインナップしていなかったメーカーというだけではない、独自の“SUV事情”が存在するのだ。フェラーリにとってSUV(彼らは自らのクルマに決してこの単語を使わないが)は、諸刃の剣のような存在である。
創始者である故エンツォ・フェラーリは、「どのフェラーリもサーキットを縦横無尽に走ることのできるモデルでなければならない」と語っていた。同時に、フェラーリとは「実用性とはほど遠い感性を持った2ドアモデルでなければならない」と主張し続けていたのだ。
彼らにとって、顧客からのニーズはあれども4ドアモデルをラインナップすることは、そう簡単なことではなかった。ましてやより実用性重視のSUVなどは……。
そんな事情があったから、フェラーリは当時、同じFCA(現ステランティス)にあったマセラティを傘下に加え、4ドア版フェラーリの役割を担わせることを考えたくらいだ。そして生まれたのが、フェラーリ「599GTB」の基本構造をベースとして設計された、5代目「クアトロポルテ」である。
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