「人間一人では生きていけない」を正面から考える 「個人の原理」と「共同体の原理」の決定的違い
社会生活においてどのように振る舞えばよいのか、わからなくなることがあります。自分を優先するのか。それとも他人との関係を先に考えるのか。
「他人」に頼らず生きていける「都市の原理」
僕はさいたま市のベッドタウンで生まれ育ちました。近所には木々の繁る神社があり、隣接する公園でもよく遊んだものでした。夏祭りには屋台も出ていたり、駅に行く際にも必ず前を通ったり、その神社は地域のランドマーク的存在です。
でも僕は、神社の行事や地域の活動など、自分の都合を優先できないことに参加するのが、はっきり言って大嫌いでした。なぜ当たり前のように、みんなと同じことを強制されなければならないのか。昔からやっていたり、みんな同じようにやっているという理由だけで、自分は好きな本を読んだりゲームをしたいのに、なぜ阻まれなくてはならないのか。
「自己中だ」と言われればそれまでなのですが、ただ単にみんなと同じことをするのが嫌なのではなく、「みんなと同じことをする意味がわからない」のほうが近いかと思います。さらに、意味のわからないことをわからないままにしようとしても、身体が動かないのです。
都市は人が自分の労働力を提供し、その対価によって生活を営むことができる自由な生活空間です。そのシステムさえ機能していれば、人は地縁や血縁といった「しがらみ」に頼らずとも生きていける。つまり、個人の集合体によって社会が成り立っているのが都市のはずです。
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