これは、恋愛において女性のほうが「アプローチを受ける」受け身側であるという点が影響しているでしょう。逆にいえば、親の恋愛力や結婚形態にかかわらず、女性はなんとかなるということでもあります。
となると、残るのは親が見合い結婚の場合の未婚男性が取り残される問題です。見合いというお膳立てがあったからこその皆婚だったのに、それが消滅しつつある中で、「自力でなんとかしろ」というのは実は酷な話でもあります。泳げない人を海に突き落とすようなものです。
見合いの話だけに特化して述べてきましたが、結婚のお膳立ては見合いだけではありませんでした。戦後においては、見合いの代替え機能を「職場結婚」が果たしていました。
今では絶滅した職場の「媒酌人やりたがり」のお節介な上司や、職場での結婚をむしろ推奨していた企業の風土というものに後押しされて結婚した夫婦が、少なくとも2000年代初頭までは30%も占めていました。つまり、2000年に結婚した夫婦の子である現在20代前半の若者の親は、見合いの10%弱と職場結婚の30%を合わせた約4割がお膳立て婚による両親だったことになります。
全員がそうだとは言いませんが、当時このお膳立てがなければ結婚できていなかったご両親もいるかもしれません。つまり、そうした親の「恋愛力の弱さ」を引き継ぐ割合が現在でもなお40%もあるということになります。奇しくも、その40%とは「結婚を希望しているのにできない」状態となっている不本意未婚の割合と合致します。
もはや打つ手なし!?
恋愛強者たちは、お膳立てなどなくても自力で相手を見つけ、恋愛し、結婚していくでしょうが、そうではない恋愛弱者にとって、このお膳立てが消滅したダメージは大きいと考えます。とはいえ、職場結婚の復活などはセクハラの問題で困難ですし、マッチングアプリなどは、それこそ恋愛強者のためのツールであり、恋愛弱者にはまったく恩恵はない。
最後の砦といわれる結婚相談所においても、年収などの条件で「いい相手がいない」と言われてしまう始末です。恋愛セミナーや恋愛コンサルなどにだまされて無駄なお金をつぎこんだ被害者も多いでしょう。もはや打つ手なしです。諦めたほうがいいかもしれません。
しかし、人生とは不思議なもので、「結婚すれば幸せになれるはず」という呪縛から解放されて、「1人でも楽しく生きよう」と思って行動し、充実な毎日を過ごしていると、縁が芽生えることもあります。なぜなら、結婚したら幸せになるのではなく、幸せそうな人は誰かに好かれるものだからです。
恋愛強者と恋愛弱者は存在するし、それはいかんともしがたいものですが、幸福を感じられるかどうかに能力の差はありません。考え方次第です。泳げない人が泳ぎを練習するのも結構ですが、泳ぐことで向こう岸に行こうとせず、船を造る、橋をかけるという視点の切り替えも必要ではないでしょうか。
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