J-POP名曲「太陽」「月」「夜」が登場すると"響く"訳 キーワードで読み解く「時代と歌詞の変遷」
自ら表に立ち、輝こうとするのは危険。それよりも、行き先が見えないときはそっと道を照らしてくれ、幸せなときは姿を隠して見守ってくれる、そんな月のような存在が求められるようになるのも、自然なことだったのかもしれない。
加えて、2005年には映画・ドラマで『電車男』が大流行し、これまでマイノリティとされていた「オタク」のイメージがガラリとポジティブに変わった。さんさんと太陽が降り注ぐ外ではなく、家の中でつないだネット掲示板で本当の自分をさらけ出せる。太陽がないところにも、もう一つの自分の世界ができるようになったのも大きいだろう。
「夜」と「月」が身近になっていく2000年中盤。「太陽」は輝きを失ったのかと言うと、とんでもない。独特の“パリピ(パーティーピープル)感”を増していった。2007年には、太陽が象徴的に描かれたORANGE RANGE『イケナイ太陽』や湘南乃風『睡蓮花』が大ヒット。
昭和なら夜に活動する一択しかなかったヤンチャたちが、昼から夜までぶっ通しでビーチを駆け回る。なかなか刺激が強い、まさに“ヤケドレベル”の太陽たちが輝いていた。
2010年からの平成後半には、ボーカロイドという新たな音楽の形が登場し、顔を出さず、あだ名のようなアーティスト名で歌う「ボカロP」が名曲を生み出していく。この仮想空間に漂うような新ジャンルは、「個人の思考、もしくは闇を覗き見る気持ちになる」、という意味で、どこか濃紺、夜空のイメージをうっすら感じるのである。
令和と「夜」の親和性
そして令和。YOASOBI『夜を駆ける』の大ヒット、そして1979年の松原みきの楽曲『真夜中のドア~stay with me』がSpotifyで世界的ヒットとなるなど、「夜」と親和性がある時代だ。
コロナ禍の自粛、そして緊迫感のある世界情勢や不況。2022年末に『徹子の部屋』でタモリが発した「新しい戦前」という言葉に象徴されるような、さまざまな危険と隣り合わせのムードも、“夜”感を強めている。
ただ、先が見えない閉塞感はあるが、同時に、顔の見えない誰かとつながれるツールが普及し、世界は広がった。ならば、この暗闇を“さまよう”のではなく、“遊ぶ”心が必要なのかもしれない。
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