J-POP名曲「太陽」「月」「夜」が登場すると"響く"訳 キーワードで読み解く「時代と歌詞の変遷」
ところが平成に入り、1991年にバブル崩壊。あれよあれよという間に、急カーブを描き日本経済は低迷していく。
大人の輝きには陰りが見え、代わりに「太陽」を受けて立ったのが、才能を尖らせる10代の女の子たちである。コギャル文化が爆発する1990年半ばは、安室奈美恵がこんがり日焼けた姿で『太陽のSEASON』(1996年)を歌い、初々しくも危なっかしい太陽を思わせた。
しかし、疲れ果てた大人にとって、JK(女子高校生)という“太陽”は眩し過ぎ、制御不可能な刺激でもあった。
同じく1990年後半、燃え盛っていくギャルたちとは逆に、男性アーティストたちは「月」の名曲を生み出していく。
1997年、大ヒットしたのが、エレファントカシマシの『今宵の月のように』。「くだらねえ」と呟きながらも、夢と愛を探し、いつか輝くだろうと考える。しかも「太陽のように」ではなく「月のように」輝くだろうと、希望を持つのである。この歌に出てくる月はとても穏やかで、何かを見守っているようだ。
昭和に『月がとっても青いから』(1955年、菅原都々子)という名曲があったが、そのやさしさに似ている。
1999年には、The end of genesis T.M.R.evolution turbo type Dが『月虹-GEKKOH-』を、2000年にはB’zが『今夜月の見える丘に』をリリース。このあたりから、月の光の包容力と神秘性、癒やしと赦しという意味合いがどんどん増してくる。
疲れた時代に「月ソング」は必須
女性アーティストもそれに続く。同じく2000年には、鬼束ちひろの『月光』がリリース。「GOD’S CHILD」「腐敗」という言葉が、凄まじくリアルに胸に響いてくる曲だった。どうしてこんな世の中に生まれちゃったんだろう、という絶望だらけなのに、救われる思いもある。歌において「月」が太陽を凌駕したと言えるほどインパクト大だった。
2003年には柴咲コウがRUI名義で歌唱した『月のしずく』が大ヒットし、2006年には絢香の『三日月』が包み込むようなやさしさで、愛された。どの曲にも感じるのは、浄化作用だ。当時夢中で聴き、疲れた心が癒やされたものである。そう、私だけでなく、この頃世の中全体がかなり疲れていた。
思い出してみれば、2003年はイラク戦争で自衛隊が派遣された時期。戦争が身近に感じたという意味では、今と似ている。そして「自己責任」という言葉が流行し、呪いのような強さを持って、多くの人の心に鎖のようにまとわりついていった。自ら光を放ち、周りを輝かせようとすることに、この言葉がクッとブレーキをかけてくるのだ。「それ、責任を持てるの? 誰にも迷惑をかけない?」と。
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