J-POP名曲「太陽」「月」「夜」が登場すると"響く"訳 キーワードで読み解く「時代と歌詞の変遷」

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美空ひばりの『真赤な太陽』(1967年)や、安西マリアの『涙の太陽』(1973年)からは、情熱メラメラの“肉食女性”の姿が見えてくる。

それに対し、「夜」は心の闇や秘密を連想させた。もっといえば、良い子は眠り、不良やハスッパの活動する時間。明るい時間には動けない、もしくは昼には手に入らないヤバめの欲望がある、など“ワケアリ”を思わせせた。

「夜明けのコーヒー」とあれば“性”を感じ、「夜汽車」とあれば“逃避行” “挫折” “今の環境からの脱出”を連想したものである。

眠れない人を寝かせようとする「ララバイ(子守歌)」は、「バイバイ」というダジャレ的要素もあり、中原理恵の『東京ららばい』(1978年)や岩崎宏美の『聖母たちのララバイ』(1982年)など、“傷心”や“ぼっち”の代名詞として、どこか社会になじめない苦しさと慰めをあわせて感じたものだ。

夜に輝くビルの明かり「摩天楼」も、アメリカでは映画『摩天楼はバラ色に』(1987年)などでは“上昇志向”のイメージで使われるが、昭和の歌では逆。岩崎宏美の『摩天楼』(1980年)や東京JAPの『摩天楼ブルース』(1984年)など、“都会の冷たさ”を思わせる。

さらに、出だしで「夜の街」が描かれる中森明菜の『飾りじゃないのよ涙は』(1985年)では、10代の少女が冷たい夜のまん中でも「平気」と言い放つことに、凄まじい早熟さと孤独を感じたものである。

夢と幸せに満ちた者は、太陽の光を浴びキラキラした日々を送り、そこになじめないマイノリティは夜に逃げる。昭和は、このわかりやすい対比で、「うおお!」と希望に燃えたり、「つらい」と沈み込んだりする感情の両極端を、これ以上にないほどドラマチックに描いていた。

バブル崩壊後、「太陽」から「月」の時代へ

そして、1980年代半ばからやってくるのが、浮かれっぱなしのバブル期である。このパワー過多な時代を見事に表しているのが、1989年の光GENJIのヒット曲『太陽がいっぱい』だ。金が溢れるようにあり、人々は己の欲望と欲情を発散させギラギラと輝いていた時代、確かに“太陽がいっぱい”。誰もが自分を中心に回っている主役だった。

光GENJIは全盛期がそのままバブル期と重なる、まさに時代の申し子。いま思えばだが、彼らが1988年の『パラダイス銀河』で世の中がパラダイスだとおおらかに歌い、『太陽がいっぱい』で熱さが限界を超えたことを、意識せずして発信していたように感じる。

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