幸せに生きるための「3つの大事な心構え」とは? 「自分が属する集団」のことをよく考えて見よう

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宗教が集団の力学の下に人を動かすように、思想も同様の力を持つことがある。マルクス主義、あるいは社会主義のような思想には、ある種の宗教と同類のシンプルな信者の動員力がある。カール・マルクスはかつて「宗教は阿片である」と言ったが、マルクス主義もわりと入手・普及しやすい麻薬のようなものだ。

社会主義は資本主義の前段階に現れやすい

封建制、王政からの脱出、他国の植民地からの独立など、圧政から民衆を解放する際に社会主義思想が旗印になることは珍しくない。かつて想定する人がいたような、資本主義が行き詰まって矛盾に陥り、社会主義革命が起こったというような状況は見かけない。

圧政と戦うには、社会主義はシンプルで使いやすい旗印のようだ。その後に、権威主義的な政府に移行したり、腐敗が横行したりする段階は、革命の前には大衆の視野に入りにくいのだろう。

社会主義や共産主義を掲げていた国の経済システムが、いつの間にか資本主義的(「生産手段も商品として取引されるような仕組み」を指すことにしよう)になっている場合はある(中華人民共和国にも株式も株式市場もあるように)。

だが、成熟した資本主義国が、革命によって共産主義国になったというような話は見かけない。むしろ、社会主義は「資本主義の前段階に現れやすい一段階」だと考えるのが現実的ではないか。

ちなみに、「商品による、商品の生産」(マルクスの資本主義の定義の1つ)のような仕組みを、「資本主義」と名づけることには疑問を感じる。これは単に、取引の仕組み、ゲームのルールであって、「主義」と名のつくような思想ではないからだ。

「思想=何々イズム」という点では、ナショナリズムでも集団の力学はよく働いている。ナショナリストは、自国の何がしかにプライドを持つ一方で、他国や他国民に対して差別意識や敵対意識を持つことが結束の力になりやすい点でも、典型的に「集団の力学」の支配下にある。集団の中での地位を上げたい動機や、その中で自分が忘れられないようにしたいとの思いなどから、ナショナリスト的な政治家は、時に物議を醸すような奇矯な言動に至るのだろう。

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