「私は日本人」と語ったアメリカ人歌手が炎上の訳 日本人にはわかりにくい文化の盗用という問題
「『アメリカの文化を日本人が模倣する』という点では、古くは1950~60年代のロカビリーブームが思い起こされます。戦後の貧しい時代から日本が復興し、当時のキラキラしたアメリカ文化に対する憧れが大きかったのだと想像します。現代では、ヒップホップやラップなどのアメリカ文化に傾倒する人々の多くは、よりアメリカ人に近づくために日本語も英語っぽく発音したり、ダボダボの服をブラザー系と称して着用しています。
さて、これらが『文化の盗用』にあたるかどうか。答えは、そこに『愛』があるかどうかの問題だ、と私は考えます。自分の活動が、アメリカ国内の当該コミュニティーの人々を傷つけるものになる可能性があるのかについて考え、その点について彼らと直接話したり、一緒に活動する環境を持っているのかどうかが、『文化の盗用』と『文化の共有』をわけるものだと考えます。表面的なありきたりの知識しかないのに知ったかぶったり、ちゃかすのは問題外だと思います」(西園寺さん)
文化の盗用かどうか迷ったら…
西園寺さんは現在、ローズ教授や紅林さんとともにカワイイ文化に関する書籍を執筆中で、こうしたプロジェクトや協会設立を通じてカワイイ文化を正しく発信し、人種差別やこれに基づいたいじめを世界から撲滅することを目標としているという。
文化の盗用とは権力であり、他者を抑圧するためにいかに文化が武器になりうるか、ということである。これは文化を共有したり、交換したりすることとは異なり、どちらかというと搾取に近いものである。
もし自分や他者が文化の盗用を行っているのかどうか迷う場面があれば、西園寺さんがいうように、そこに愛や尊敬の念があるのか、さらにそうした行為が他者を不快感にしたり、他者を貶める可能性があるのかを考えるのがいいだろう。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら