「私は日本人」と語ったアメリカ人歌手が炎上の訳 日本人にはわかりにくい文化の盗用という問題
そこで、同記者は日本にいる日本人にインタビューすることで、「日本人自身」がこのことについてどう思っているのかを報道した。そして、カラオのような注文の多いアメリカ人はステファニの発言を問題視しているが、日本人自身はこの論争に困惑していると結論づけた。日本では、文化の盗用は現状では、大きな問題ではないと考えられている、と。
と、なると日本人はこの問題はまったく無関係なのだろうか。それを判断するには、文化の盗用とは何かを理解する必要があるだろう。
うまく伝えられているメディアは少ない
文化の盗用は複雑なテーマであり、文脈によって変化する。残念ながら、多くのメディアがこの問題を単純化して説明しようとすることで、その危険性が不明瞭になったり、失われたりしている。
ニューサウスウェールズ大学の社会学者で、アートやメディアが社会正義や政治とどう相互作用するかを研究しているミーガン・ローズ教授は、今回のステファニの発言の中には、文化の盗用の核心にある問題を象徴するものがあると主張する。同教授はステファニのみならず、原宿の「KAWAii(カワイイ)ファッション」のような日本のサブカルチャーが西洋諸国にどう紹介され、全体的にどのような影響を与えるかという問題点を研究している。
例えば、ステファニはインタビューの中で、「もし(人々が)私が美しいもののファンであり、それを共有することを批判しようとするなら、それが正しいことだとは思いません」と語っている。「あれは創造性の美しい時代だったと思う……原宿文化とアメリカ文化のピンポン勝負の時代でした」「ほかの文化からインスピレーションを受けるのはいいことだと思います」とステファニは続けている。
が、ローズ教授は文化間の関係はピンポン勝負だったことはない、と指摘する。
「この比喩の前提は、ステファニと原宿ガールズの間には公平な競技場があることです」と、ローズ教授はいう。実際、これは「公平な試合」ではなかった。過去のライブなどでステファニは彼女たちに学生服を着させ、ステファニを崇拝するように頭を下げさせ、スカートを上げさせたりしている。つまり、双方は対等な関係にあったわけではない。
それどころかこれは、日本の女性は従順でおとなく、みんな同じで、白人を魅了するための「小さな人形」であるという、アメリカで長年培われてきたオリエンタリズムのステレオタイプを助長するものだったと言っていい。
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