25年間「英語辞典"一筋"」だった彼の驚きの現在 なぜ50代にして「キン肉マン図鑑」を作ったのか
「当時は仮面ライダーやウルトラマンも好きでしたが、『キン肉マン』はギャグ漫画テイストも強かったし、敵前逃亡したり、すぐにおしっこ漏らしたり、 あまりかっこよくないヒーローというのが新鮮でした。読者が考案して採用される超人キャラも魅力的で、小5のときに私が考えたキャラが採用され、自分にとって『キン肉マン』が特別な作品になった決定的な出来事でした。“勲章”のように感じていましたね」
漫画好き少年の例に漏れず、芳賀氏も当時は漫画家に憧れていたという。
「あるとき、学校の先生から『活躍できる漫画家は氷山の一角で大変な道のりだぞ。お前にその覚悟があるのか?』と問われたことがあって。昔の教え子で漫画家になった方がいたらしく、ハッパかけるつもりだったんだと思いますが、子どもながらにビビって『ありません』と答えてしまいました(笑)。
編集者の仕事に興味を持ったのは、中1の夏休みに漫画好きの友人と訪れた神保町でたまたま集英社を見つけ、勢いで週刊少年ジャンプ編集部を突撃したのがきっかけです。私は『そんな簡単に入れてくれないよ』って感じだったんですけど、友達はノリノリで。受付に『見学させてほしい』と伝えたら、本当に編集部に案内してくれたんです」
このことがきっかけで、出版社の編集職を志望するようになり、上智大学の在学中にはテニス雑誌の編集部で外国人選手の英語通訳や、インタビュー内容を翻訳するアルバイトを経験。1994年に学習研究社(現・Gakken)へ入社した。
「就活では漫画編集者志望で大手出版社をいくつか受けましたが、結果的には引っかかりませんでした。学研は、得意の英語を生かしながら、高校と大学でやっていたテニスに関わる仕事として、テニス雑誌で働けたらなと思って応募しました」
しかし、入社後に配属されたのは国語辞典や英語辞典、漢和辞典などをつくる辞典編集部の英語チーム。英語力を買われた形だったが、本人としては辞典に人並み以上の興味があったわけでもなく、自分が作る側になるとは、まして四半世紀も携わることになるとは、当時まったく想像していなかったという。
40歳で管理職に。“エンタメ系辞典”で頭角メキメキ
1990年代以降、電子辞書の登場で紙の辞典のシェアが激減。入社当初20名以上が所属していた辞典編集部だが、年長層も比較的多く若手の補充があまりないまま、十数名の規模にまで縮小していく。シュリンクする業界を目の当たりにしながら、40歳を目前にして芳賀氏は辞典編集部の責任者となった。
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