子ども強制参加の「音楽鑑賞会」が残念すぎるワケ 大人の先回りが「子どもの成長機会」を奪う
工藤:そのあとに、校庭へ移動してロケットを飛ばしたんですけど、そのときは別室にいた子も全員が参加していました。
苫野:工藤さんの目線の高さを感じるお話です。
工藤:そんな話をしていくうちに、教員たちも少しずつ理解できるようになっていくんです。一度説明したくらいで人の考え方がポンと変わることなんてほとんどないですよ。こういう対話を毎日、学校中でする必要があるんです。教員も、生徒もです。するとみんなの意識が少しずつ変わっていく。気づいたら、そこら中で対話が自発的に始まっている状態になるんですね。
民主主義を育てていくって、こういうことだと思うんです。各自が考え、意見をぶつけ合って、ああでもないこうでもないと対話を続ける。その小さな積み重ねでしかない。そう思います。
あえて青臭い話から学校を語る
苫野:先ほど研究主任の話がありましたけど、私も、全国の多くの学校に関わらせていただく中で、学校に対話の文化や仕組みをインストールするためには、研究主任がその中核になれるというお話をよくしています。昨年も、仲のよいある小学校の研究主任の先生が、月に2回ある校内研修を対話型に変えて大きな成果をだされました。
まず、「なぜ自分は先生になったのか」「どんな先生になりたいのか」「子どもたちの育ちとどんなふうに関わりたいか」といった、あえて青臭い話からはじめるんです。すると、なんとなく苦手意識を持っていた同僚でも、意外に共通点が見えたりして、少しずつ相互の理解が深まるんですね。
そこから徐々に、どんな学校をつくっていきたいか、その最上位目標を見出し合う段階に移行していきます。目指す方向が見えたら、じゃあそれをどう実現するかの対話にうつっていく。そんな対話を1年くらい続けた結果、その学校では、建設的な対話の文化ができただけでなく、先生方の自律性もとても上がったそうです。自分たちの実践を日常的にシェアして、お互いに振り返る場もできたそうです。
工藤:すばらしいじゃないですか。そういうことですよね。