1990年代の車に今も熱い気持ちになる人が多い訳 日本車にとって極めてエポックメイキングな時代

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こうした現象が起きるかもしれないことは、R32型ニッサン・スカイラインGT-R、レクサスLS400/トヨタ・セルシオ、ユーノス・ロードスター等が登場して「日本車のヴィンテージ・イヤー」といわれた1989年から25年を経た、2014年の前後から自動車メディア業界内で静かな話題になっていた。アメリカの好景気と円安、そしてコロナ禍が重なったここ数年でその流れが増幅された結果が、いまの中古車相場というわけだ。

第2次世界大戦後からバブル経済期にかけて、日本の自動車産業はオイルショックさえも味方につけて拡大の一途をたどった。そして1990年代初頭に頂点を迎えた末、バブル崩壊により足元をすくわれた。大ざっぱにいえばこんな展開だが、あらためて詳しくその背景を見ていくと、興味深い事実がいくつか浮き彫りになる。

すでに現代のクルマとかわらない姿かたち

1990年のクルマたちは、すでに現代のクルマたちと大きくは変わらない姿かたちを手に入れていた。1989年の税制改正で、車幅にかかわらずエンジン排気量に応じて自動車税を決める方式となったため、全幅1700mm以上の3ナンバー車が急増。高速化に備え風洞実験を利用して空力性能を磨いたボディーは、流線形のパネルに丸みを帯びた窓ガラスが組み合わせられ、塗装された樹脂成型の前後バンパーとともに優雅な一体感を醸し出した。

高級・高性能車の足元には16インチ以上の大径アルミホイールが備わり、幅広タイヤの能力をすべて引き出すため車幅を端から端まで使って配置するレイアウトが一般的になっていた。

けれどもその中身はというと、技術的にも、社会的にも、産業のあり方としても、およそ30年の間に大きく変貌を遂げた。

たとえば1990年には、まだインターネットが自動車界には存在しなかった。当時の全世界におけるインターネット普及率は0%、アメリカで1%未満。2000年にようやく世界で7%、アメリカで47%に伸びた程度であった。

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