1990年代の車に今も熱い気持ちになる人が多い訳 日本車にとって極めてエポックメイキングな時代

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自動車の輸出入はすでに盛んに行われ、コンピューターの活用も進められていたが、オンラインでのデータ送信を含め遠隔的なコミュニケーションは不可能だから、技術やノウハウは人が動きやすい範囲の特定の地域に集中し、生産も設計もローカルもしくはドメスティックに行われていた。大量の部品を自社工場の周辺で効率よく調達するため、日本では「系列」という護送船団がメーカーとサプライヤーの間で構築された。

海外に出れば言葉は通じなくとも高品質のモノは飛ぶように売れる。小さな国土に詰め込まれた1億数千万人の単一言語・単一民族が閉じられた世界でモノづくりに熱中し、日本の国力は突出していった。

円安の時代にたっぷり稼いで貯め込んだマネーを注ぎ込み、日本のエンジニアたちは当時、日本人にしかアクセスしようのなかった世界最高水準の技術を独占的に利用することができたのだ。日産の電子制御4WDシステム、ホンダのVTECエンジン、トヨタのエアサスペンションやアイシン製多段AT、マツダのロータリー・エンジンなど、各メーカーが独自性のある技術を競い合った。そうした中から、世界の自動車の歴史に残るような名車たちが数々生まれていった。

バブルの好景気が優れた製品を生み出した

過熱するバブル景気自体が当時の自動車を面白くした側面もある。電子技術の進化でさまざまな機能装備が加わり、高回転化やターボ化などにより内燃機関の性能が向上、3ナンバー車の事実上の解禁に伴って内外装デザインが飛躍的に自由度を増し、内燃機関を持つ動く彫刻、もしくは走る応接間としての魅力が追求された。法人も個人も経済力に余裕が出たことで、消費者は高級・高性能化した自動車を現実に手にすることができたし、メーカー側も普及のためにコスト度外視で優れた製品を供給したのだ。

モータースポーツの世界も華やかだった。1980年代後半から1990年代前半にかけて、ホンダがウィリアムズやマクラーレンと組んでF1でチャンピオンを獲得。マツダはルマン24時間で優勝、トヨタ、三菱、スバルはWRC(世界ラリー選手権)を次々に制覇。競技を戦うために磨かれた世界水準の技術やブランド力は製品にも生かされていった。

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