【日産自動車の城下町に激震が走った工場閉鎖報道】主要車種の生産を担い、開発の拠点でもある追浜工場の今後は?その歴史から考察する

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1961年に操業を開始した追浜工場。マザー工場として日産のクルマづくりをリードしてきた歴史ある拠点となる
1961年に操業を開始した追浜工場。マザー工場として日産のクルマづくりをリードしてきた歴史ある拠点となる(写真:日産自動車)

5月17日、テレビや新聞などの報道で、日産自動車(以下、日産)が生産工場を削減する計画について国内も含まれるとし、神奈川県内の追浜工場と湘南工場の名が挙がった。

これらの報道では、「臆測に基づくもので、当社から発表した情報ではありません」と、日産によるコメントも伝えられたが、具体的な工場の名が媒体で伝えられたことにより、反響が大きくなったのはもちろん、地元で不安の声があがった。

この報道を耳にしたとき、本当だろうか?との思いが募った。

そこで日産広報へ直接問い合わせたところ、「当社から発表したものではなく、臆測記事になりますので、閉鎖の是非についてはお答えすることができません」との回答であった。

追浜工場閉鎖報道への疑念

追浜工場では、日産の主力車種である「ノート」「ノートオーラ」が生産される
追浜工場では、日産の主力車種である「ノート」「ノートオーラ」が生産される(写真:日産自動車)

先の報道に対し、疑念が湧いた背景は次のとおりである。

まず、現在、日産で最も売れ筋の「ノート」および「ノートオーラ」は、追浜工場で生産していることだ。新車の販売動向を知らせる日本自動車販売協会連合会の乗用車ブランド通称名別順位の昨年度(2024年4月~2025年3月)実績で、日産ノート(ノートオーラを含む)は9万7000台近くを販売し、4位につけている。

もし、その生産をほかの工場へ移すとしたら、その手間は大がかりになるだろう。

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