1990年代の車に今も熱い気持ちになる人が多い訳 日本車にとって極めてエポックメイキングな時代

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しかし「いいものを作れば売れる・儲かる」時代をいつまでも楽しむことはできなかった。円高により輸出の収益は低下し、結果として内需も鈍化。グローバル化の進展に伴い、高機能・高付加価値ではない普及型の製品では海外メーカーに勝てなくなった。経済的だけでなく政策的な理由も絡んで、乗用車を国内生産から海外生産に移行する動きも進んだ。日本自動車工業会の統計によると、商用車を含む日本ブランドの生産台数は、1990年と2021年の対比で国内生産が25%減少した一方、海外生産は5倍超に伸びているという。

安全性能や環境対応の強化が求められたことで、速く快適で美しく、と快楽だけを純粋無垢に追求することも許されなくなった。ABS、トラクション・コントロール、スタビリティ・コントロール、SRSエアバッグといった装備は1990年代に浸透し、交通事故死者数の大幅減に貢献した反面、乗用車の車重は増加し装備増が車両価格にも反映されるようになった。

トヨタが世界初の量産ハイブリッド車を発売したのは1997年。軽自動車の排気量上限が660ccに改められたのが1990年、全幅・全長の上限が拡大されたのが1998年である。円安と燃料高と不景気が重なった日本市場では低燃費志向が高まり、現在の日本ではハイブリッドでも軽自動車でもないクルマを探すほうが難しいというほどメジャーな存在になっている。

ミニバン、SUV、クロスオーバーなどが勃興

パッケージングの多様化により新たなユーザーを掘り起こす機運もこの時期に高まった。商用車ベースではないミニバン、クロカン4WDではないSUV、コンパクトカーのトールボーイ版や3列シートのミニミニバン、はたまたそれらをミックスさせたクロスオーバーといったさまざまな車型が、異なる車種間におけるプラットフォームの共用を軸に提案された。時の流れとともにいくつかの試みは姿を消したものの、いくつかは現在も主力車種として生き残っている。

ひたすら上を向いて歩いてきた時代が遺した名作たちと、混迷の次世代に立ち向かおうという意欲作たちが一体になって構成していた1990年代の日本の自動車界。連載第2回以降は「前世紀の遺物たち」の世界を楽しんでほしい。

田中 誠司 PRストラテジスト、ポーリクロム代表取締役、PARCFERME編集長

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たなか せいじ / Seiji Tanaka

自動車雑誌『カーグラフィック』編集長、BMW Japan広報部長、UNIQLOグローバルPRマネジャー等を歴任。1975年生まれ。筑波大学基礎工学類卒業。近著に「奥山清行 デザイン全史」(新潮社)。モノ文化を伝えるマルチメディア「PARCFERME」編集長を務める。

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