ダメ男「太宰治」ずば抜けて身勝手なのにモテた訳 間抜けなことをするけど、放っておけない魅力
旧前田侯爵家の別邸である西洋的な建物は、三島由紀夫著『春の雪』の中で描かれている松枝侯爵家の別荘のモデルになったことで知られている。
今は鎌倉にゆかりのある文学者の原稿、著書、愛用品を保管および展示する資料館として開館されており、常設展もさることながら、企画イベントもなかなかマニアックなものが多い。三島先生が取材のために何度か訪れた豪華な屋敷の中で、文豪たちの直筆の原稿をガラス越しに見られるなんて、このうえのない贅沢なのである。
10年以上前に、その鎌倉文学館にて「文豪たちの手紙展」という特別展が開催された。インスタ映えこそしないものの、100点ほどの貴重な資料が公開されており、見に行ったときのことは今でも記憶に残っている。そして、希少な品々がずらりと並べられているなか、私が最もツボったのは太宰治が川端康成に宛てた有名な手紙だ。
第3回の芥川賞の選考が行われる前に、太宰は審査員を務めていた川端にすがりついて、推奨してもらうように頼み込んだ。
「何卒 私に与へてください。一点の駆引ございませぬ」とか「困難の一年で ございました 死なずに 生きとほして来たことだけでも ほめて下さい」などと書いた手紙を、川端に送りつけたわけだが、その実物がショーケースに入って展示されていた。人気のない資料館の寒々しい部屋でそれを見ていたら、文字からむんむんとこみ上げてくる女々しさを感じたことがいまだに忘れられず、思い出し笑いをしてしまうほどだ。
1年前にかなり激しいやりとりをしていた2人
ところが、太宰はよくぞ手紙を送ろうと思ったものだ。よりにもよって川端宛に! そんな行動が功を奏すと考える精神はもはや尋常ではない。なぜかというと、2人はそれよりたった1年前にかなり激しいやり取りをしていたからだ。
記念すべき第1回の芥川賞の選考が行われたときに、デビューしたばかりの太宰治の作品が候補となる。当時はパビナール中毒に悩み、薬代が嵩んで借金まで抱えていたので、彼は作家としての名誉はもちろんだが、500円の賞金を何よりも渇望していた。しかし惜しくも受賞は叶わなかった。
それは審査員全員の意向に基づいた残念な結果だと思われるが、川端康成はとくに彼の才能を認めつつも、「目下の生活に厭な雲」があると厳しく批判。それを受けて、太宰はもちろん黙らなかった。震えながらペンを握って猛烈に反論した。
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