地域社会の「しがらみ」と折り合いをつける思考法 「土着」と「離床」のちょうどいいリアリティ
1983年に東京都で生まれ、周りには田んぼや畑がほとんどない、埼玉県浦和市(現さいたま市)の住宅街で育ちました。まとまった自然といえば近くの神社の森くらい。小学生の間にドブ川は埋め立てられ、その分道路は拡張されていきました。銭湯や個人経営の小さな商店もなくなり、ご近所付き合いも急速に減っていったことも覚えています。
1983年は東京ディズニーランドがオープンした年でした。「夢と魔法の王国」は非現実的でワクワクするファンタジーの世界観で彩られていて、日常の延長のようなとしまえんやユネスコ村といった遊園地とは根本的に違う印象を僕は抱いていました。
地域の行事がとにかく苦手だった理由
生活を日常と非日常に分けたとき、非日常は伝統的に祭りや年中行事が担ってきました。僕は地域の行事がとにかく苦手で、できれば参加したくありませんでした。なぜ集団に合わせなければならないのか、どうして自分の好きなように行動できないのか。他人に合わせて行動することは、大切な自分の時間を無駄にしているような気がしていました。
とはいえ「非日常」そのものが嫌いなわけではなく、むしろ日常の延長線上にある地域社会からは積極的に遠ざかりたかったですし、普段会っている知り合いと顔を合わせることのない世界の存在をとても大切に思っていました。ディズニーランドに行くことは地域や集団に縛られず、非日常を好きなときに好きなだけ体験できる機会だったといえます。
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