他人同士の共同生活「沈没家族」で育った子の今 型破りな家族で育った人が大人になり思うこと
以前、子どもの頃にちょっと変わった「家族」を経験した女性、「めぐ」さん(「複数家族で同居「共同保育」で育った27歳の本音」2019年7月3日配信)に話を聞かせてもらいました。その家族の名は「沈没家族」。
1990年代、1人のシングルマザーがビラを配って「共同保育人」を募り、集まった10人ほどの若者で“共同子育て”を試みたのが、「沈没家族」の始まりでした。
「沈没家族」では、自らの意思で集まった大人たちがシフトを組み、代わる代わる子どもたちを保育していました。血縁でもなんでもない人が集まって、“よその子”の面倒を見ながら生活を共にするのです。最初、母子は1組でしたが、だんだんと人が集まってきて、そのうち3組の母子+シングルの若者たちが、共同生活をするように。多いときで10人の居住者がいたほか、通いの人も含めると、20人を超えるメンバーが出入りしていたそう。
住まいは、東京の東中野にある3階一戸建て。部屋数は全部で5つあり、家賃は部屋面積や日当たり等を考慮しながら住人で負担。1室大体4万円くらいでした。食費などは皆でカンパして出し合っていましたが、リビングに雑魚寝している居候のような人もいたといいます。
4歳から10歳までを「沈没家族」で過ごしたという「めぐ」さんは、その住居を「めっちゃボロくて汚かった(笑)」と振り返りつつも、「沈没家族は大好きでした」と語っていたものです。
笑い飛ばした「日本沈没」への危惧
なぜ「沈没家族」というのか。90年代のある日、街でこんなチラシが配られていました。
「男が働きに出て、女は家を守るという価値観が薄れている。離婚をする夫婦も増えて、家族の絆が弱まっている。このままだと日本は沈没する」
――これを見た住人たちは、「それなら私たちは“沈没家族”だ」と笑い飛ばし、そう名乗るようになったということです。
筆者が以前インタビューした「めぐ」さんは、かつて「沈没家族」で暮らした4人の子どもの1人ですが、今回はこの共同保育の試みを始めた中心人物・加納穂子さんの息子である、加納土(かのう・つち)さん(26)に登場してもらいます。
土さんは2017年、大学の卒業制作としてドキュメンタリー映画『沈没家族』を制作し、映画祭(PFFアワード)で審査員特別賞を受賞。2019年には劇場版も公開されています。さらに2020年8月、書籍『沈没家族 子育て、無限大。』(筑摩書房)も発売されました。
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