歳をとっても老けない人が50代で「やらないこと」 歳をとってからの「苦労」は買ってでもするもの
愚痴を言っていても始まらない。不都合なことが起こっても「不自由は発明の母」。全身全霊を傾けて考えれば、きっと乗り越えられる。
「歳をとると愚痴っぽくなる」と、これもよくいわれることですが、愚痴っぽくなるのもやはり、前頭葉の老化現象です。
やたら愚痴っぽくなるのは、前頭葉の老化により問題対応能力が低下して、何か不都合なことが起こってもなす術もなく、かといってその状況を受け入れることもできず、そのジレンマが「愚痴」という形で現れてくるのです。
しかし愚痴を言っていても何の解決にもならないことはもちろんです。
「愚痴は言わない」、まずはそれを習慣づけること。そして、愚痴や文句を言うかわりに「考える」習慣をつけること。考えることで前頭葉をフルに働かせれば、おのずと前頭葉は鍛えられ、そしておのずと問題解決能力もアップしていきます。
ちなみに私は、日本人にとって「不自由は発明の母」と考えています。何か不都合なことが起こったり逆境に陥ったりしたときほど日本人は強く、創意工夫で乗り切っていく力があるのです。
何か起こっても愚痴を言っている場合ではありません。自らのDNAに潜んでいる日本人ならではの優れた能力を、ぜひ発揮してほしいものです。
「二者択一」にしない
「二者択一」「白か黒か」ではなく、「これもあり」「それもあり」「あれもあり」……とたくさんの選択肢を出してみる。これも「変化対応力」を鍛えるトレーニングになる。
社会問題に対して寄せられる論評を見ると、たいていは二者択一論に終始しています。例えば原発問題でいえば、主には「危険だから即廃止」VS「原発廃止は非現実的」の対戦路線で、「漸次減らしていき、将来的には全面廃止」という声もあがってはいるものの、ふたつの主論にかき消され、影も薄くなりがちです。
原発の代替エネルギーについての議論も、風力、火力、水力、太陽光、など既存の方法の域を超えず、太陽熱など新しいエネルギーには目を向けず、あるいは選択肢は少ないほうがよいと考えられているのだろうか……と思ってしまいます。
社会問題に限らず、個人の問題、また日常生活のなかのちょっとした選択のシーンでも同じように、「あっちかこっちか」的な傾向がありますが、最終的にはひとつの案、結論にまとめるにしても、選択肢は多いほうがいいと私は思います。
ある出版社では一冊の本のタイトルを決めるときに、営業・編集部員が一人最低30タイトルを挙げること、というルールがあるそうですが、このようにたくさんの選択肢を出そうと思ったら、普段の自分の見方・考え方、知識や情報だけではとても追いつきません。いつもとは違う視点や立場からの発想が必要になります。
こうした発想法が、「別の可能性」を考え「変化対応」する力を養うことにつながります。
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