司法試験への挑戦は一度だけと決めていた。再チャレンジする体力や気力が残っていないほど、ギリギリの状態だったのだ。結果的に、退路を絶った一回限りの挑戦は実を結び、2012年9月、60歳で見事、一発合格を果たした。
振り返ると、これまでのキャリアとは違う、新しい分野での挑戦で得られたものはたくさんある。特に一切の肩書を捨て、一人の人間として、フラットに若い人たちと付き合えたことは大きな財産になった。
また自分自身を突き詰め、鍛え上げていく過程で心が柔らかくなり、みずみずしい感性が蘇った気もしている。「高みを目指す挑戦によって、人生のステージを1ランク上げられたような気持ちになりました」。
司法試験が終わった途端、体調に異変が
一方、サクセスストーリーとしてだけでは語れない、リアルな体験談もある。
睡眠時間を削って勉強し続けた4年の歳月は緊張の連続で、自覚なく身体に負荷をかけていたらしい。自分では健康にまったく問題がないと思っていたが、司法試験が終わった途端、身体が重くて、重くてたまらなく、足腰を思うように動かせない感覚が1年近く続いた。
自信のあった歯も歯周病の進行で3本、一気に失った。歯科医師によると、黙って勉強する時間が長かったために唾液が減少したり、知らない間に歯を食いしばっていたりしたことが原因かもしれない、とのこと。
また自動車総連の会長を退任後、東京から愛知の実家に戻り、同居を始めた母とは勉強のためにほとんど一緒に過ごす時間を取れなかった。「そんな偉い人にならんでもいいのに」と寂しそうにしていた母はその後、病気を患い、加藤さんの合格を待たずに旅立ってしまった。「弁護士を目指さなければ、もっと面倒を見られたのではないか」、心残りが募った。
時は過ぎ、身体の調子は回復。母への思いも乗り越えてきた。良いことも、悪いことも、すべて含めて今がある。
現在は名古屋市内で、やはりサラリーマン上がりで同期合格した弁護士と立ち上げた事務所で、労働問題に強みを持ちつつ、一般民事や刑事事件などに取り組んでいる。社会人として積み上げたキャリアがあり、長年生きてきたからこそ、説得力を持って伝えられる話がある。講演の依頼があるのもやりがいにつながっていて、弁護士に挑戦して良かったと心から思う。
「長年、日本の閉鎖的な労働市場で生きてきた50代以上の人たちは、キャリアチェンジをするのに勇気が要ると思います。しかし自立した一人の人間として、社会に力を尽くす一歩を恐れずに踏み出してほしい。あなたの決断を応援する人、努力する姿を見ている人たちは必ずいます」
若い頃から10年先の自分がどうなっていたいかをイメージして生きてきた。今から10年後は弁護士として20年になる節目の年。「一区切りとして、これからはもっと地域社会に貢献していきたいと考えています」。
個人として社会に働きかけられる人を目指した過去、今、そして未来。40代の終わりに出会った「人生二度生き」の哲学を、加藤さんは貫き続けている。
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