自動車総連でも、連合でも、労組役員たちは自社や自産業の利益を優先し、労働者個々人の仕事を守るために必要な、痛みを伴う改革に賛同を得るのが難しかった。加藤さんは孤立無援の戦いも覚悟で改革を求め、そのうちのいくつかは実現できたが、立ちはだかる大きな壁を超えられず、不完全燃焼のような気持ちを抱えていた。
そのような日々の中で、40代の終わり頃から、どこかで耳にした「人生二度生き」の言葉を意識するようになった。
今でこそ「人生100年時代」など言われるが、当時は終身雇用で定年を迎え、その後は悠々自適に暮らそうという心持ちの人がまだ多かった。だが加藤さんは「健康で90歳まで長生きできれば、定年後の人生は30年も続く。人生の後半で新しい挑戦もできるはず」だと考えていた。
“次の人生”で何をするかは具体的ではなかったが、何をするにせよ、自分の意思で道を切り開いていけることに挑戦したかった。
「連合の会議では自分なりの軸をぶらさず、賛同してくれる人が少数でも我慢強く主張し、実現にこぎつけた施策もあります。しかしそれは、トヨタ出身で自動車総連の会長である私が、影響力のある立場だからものが言えた、という一面もあったと思うのです」
一方で、政府の審議会に労働組合の代表として出席すると、官僚たちから下に見られていると感じることもあった。加藤さんがいくら「社会を良くしたい」という使命感を持ち、力を尽くしたいと考えても、組織の人間としての立場や評価が何をするにもつきまとった。
弁護士を目指したきっかけ
ちょうどそのころ、国の司法制度改革が具体化し、法科大学院制度が創設された。加藤さんは法学部出身だが、大学生だった当時は司法試験に挑戦するなど夢のまた夢だった。しかし新しい法科大学院制度と司法試験を利用すれば、自分でも弁護士を目指せるような気がした。
脳裏にあったのは、妻の実家に起きた連帯保証債務問題を、弁護士である友人が颯爽と解決してくれた経験だ。自分が銀行と話をしても全然、埒があかなかったのに、弁護士の友人が動くと話は急速に進んだ。そのおかげで問題は円満に解決し、一家は明るさを取り戻した。弁護士の持つ社会的な地位や力を大きく感じた出来事だった。
自分の信念を貫くことで社会に影響力を持てる生き方をしたい、と願っていた加藤さんにとって、弁護士の仕事は魅力的に思い出された。
「(弁護士は)私という存在が、自分の信じたことを、信じたままに貫ける仕事だと感じました。自動車総連や連合での仕事では、思いを遂げられた経験が少なく、力及ばず、でした。その悔しい気持ちが、弁護士になれば少しは晴れるのではないかと思ったのです」
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