蒙古襲来予言「日蓮の文書」で批判された著名高僧 「立正安国論」の中で非難、いったいなぜなのか

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「日蓮上人」の像(写真: skipinof/ PIXTA)

『立正安国論』は、鎌倉時代の僧侶・日蓮(1222〜1282、日蓮宗の開祖)が執筆し、文応元年(1260)、前執権の北条時頼に提出された文書です。

日蓮の代表的な著作ですので、高校の日本史の教科書で書名を目にした方も多いと思われます。あと、本書は蒙古襲来、いわゆる元寇(文永の役=1274年、弘安の役=1281年)を予言した書物とも言われています。

しかし、それだけではなく、日蓮はこの書物である高僧の教えを厳しく批判しているのです。その高僧とは誰か。そしてなぜ、高僧は非難の対象となったのか。知られざる『立正安国論』の内容とともにその謎を解き明かしていきたいと思います。

『立正安国論』は、要人に提出されたので、日蓮の想いがそのまま書かれているように思われがちですが、意外にそうではありません。「旅人」と「主人」という登場人物が登場するちょっとした対話の物語のような構成になっているのです。

旅人の嘆きから始まる

冒頭は、旅人の嘆きから始まります。「ここ数年来、天変地異や飢饉・疫病があまねく天下に満ち、地上に蔓延っている。牛馬は倒れ、骸骨は路に満ち、死者多く、これを悲しまない者は1人もいない。このような時に、人々は阿弥陀仏の名を唱え、薬師如来のお経を読み、法華経の一文を崇め、天地の神を拝して、祭祀を行ってきた。また、国王は民衆を憐れみ、徳政を行ってきた。しかし、飢饉や疫病はいよいよ蔓延している。家を失った者が溢れ、死人が満ちている。死体は積まれて、橋となるような有様。仏の力が廃れたのはなぜなのか。これは、どのような過ちによるのか」という旅人の凄まじい言葉から本書はスタートするのです。

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