蒙古襲来予言「日蓮の文書」で批判された著名高僧 「立正安国論」の中で非難、いったいなぜなのか
「念仏の教えによって、往生を遂げた人も多いはず。法然上人は、幼少の頃、比叡山に登り、仏教を深く学ばれた方。その上で、念仏の教えを開かれた。国中の男女が上人のもとへ足を運ばれ、帰依した。それをお前は、仏の教えを蔑ろにし、阿弥陀仏の経文を謗る。これはどうしたことか。その罪は重い。こうしてお前と話していることさえも、恐ろしいわ。もう杖をとり、帰らせてもらおうか」と怒り、対話終了の危機に。それでも、主人は笑みを浮かべ、旅人を押しとどめて、話を続けようとします。
「蓼食う虫も好き好き、臭いもの身知らず、善い言葉を聞いて悪い言葉と思い、悪人を指して聖人と言い、正しい師匠を悪僧となす。そうした迷いは、とても深く、その罪は浅くはない。法然は仏教の根源というものを知らない。自分勝手に教えを述べて、仏経の説を顧みていない。それであるのに、人々はその妄言を信じ、『選択集』を尊んでいる。この邪教は天下に広まってしまった。唐の武宗は、仏法を破却し、多くの寺塔を滅ぼし、世の混乱を収めることなくして、滅んでいった。これを見て、思うに、法然は後鳥羽上皇の御代の者。その後鳥羽院が隠岐に配流されたことは誰でも知っている」という論理を展開してくるのです。
「邪教を信じると世は乱れる」
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも描かれるように、後鳥羽上皇は、鎌倉幕府(北条義時)を滅ぼすため、挙兵しますが、幕軍に攻められ、敗退(承久の乱=1221年)。隠岐島に配流となるのです。
主人は、仏法が破却され、邪教を信じれば世は乱れる。法然の教えが広まってから、今までの世の有様を見ていけば、そのことがよくわかるではないかと言うのです。
この主人の言葉に、旅人も少しは納得したのか、同書には旅人は「顔色を和らげた」とあります。このように、日蓮の『立正安国論』には、法然の念仏宗を攻撃する言葉が並べられていたのでした。
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