追い詰められた男の発想が変えた食材の歴史 便利な冷凍食品、ルーツを知っていますか?
太平洋戦争で中国戦線に送り込まれていた村上は、戦後にソ連軍に捕まり、シベリアの捕虜収容所に入れられた。零下数十度になる極寒の地で、捕虜たちに与えられるジャガイモなどの食料は堅く凍り、自然に解けるまで待っても、食べられる代物ではなかった。
そこで村上が試みたのが熱湯による解凍だった。実践してみるとジャガイモの風味は見事によみがえり、捕虜たちを飢えから救ったのだった。
「熱湯で解凍すれば、冷凍食材でも美味しく食べられるのではないか?」。
シベリアでの体験を思い出した村上は、熱湯で解凍することに挑戦する。選手村で提供されるメニューは2000以上。生のままで冷凍するもの、ゆでてから冷凍するもの、解凍する際のタイミングなどを、メニューに合わせて一つ一つ組み立てる。膨大な作業の末に、村上は冷凍食材を使っても満足できる料理を作ることに成功したのだった。
運命の「試食会」
村上たちを待ち受けていた最後の関門が「試食会」だった。オリンピック関係者を招いた「試食会」を開催して、冷凍食材を使った食事が受け入れられるかが試されることになったのだ。
1963年8月23日、冷凍食材の命運を決める「試食会」が開催された。会場には冷凍食材と新鮮な食材を使った同じ料理を並べて出したが、その事実は集まった関係者には伏せられていた。
集まった人々は違いを見分けられるのか?もし、2つの皿の違いに気づかれてしまえば、冷凍食材を使うことは許されない。村上は「試食会」に集まってきた人々の様子を、固唾をのんで見守った。その中にはオリンピック担当大臣で、後に首相に就く佐藤栄作の姿もあった。
佐藤が皿に取ったのは、冷凍食材を使ったローストビーフだった。ゆっくりと口に運び、味を確かめる佐藤大臣。その様子を少し離れた場所で見つめる村上。2人の間に重い沈黙が流れた。
そして次の瞬間、「これはうまい!実にうまい!」と、佐藤大臣に笑顔がこぼれた。安堵の表情に包まれる村上。懸命に取り組んできた冷凍食材の使用が認められた瞬間だった。
1964年10月10日、東京オリンピックが開幕、選手村には日本各地から300人を超える料理人が集まって、選手たちに料理を作った。冷凍食材を使った料理の評判は高く、「あなたの料理のおかげでメダルが取れた」と感謝された料理人もいたという。
東京オリンピックで認められたことで、日本の冷凍食品の評価は高まり、日本の食卓に欠かせない存在となっていく。
村上たちの努力がなく、佐藤大臣が「このローストビーフ、不味いね・・」と言っていたら、現在の日本の食卓はまるで違ったものになっていたかもしれない。「オリンピック」と「シベリア」。この2つのキーワードが、現在の日本の冷凍食品の発展のきっかけとなったのである。
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