ヘアメイクの革命児、藤原美智子さん引退の真相 突出した存在になった彼女が新たに選んだ道

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あまりの激務、チームで仕事をする難しさなど、働く20代の多くが直面するような葛藤に彼女ものみ込まれたが、それらは経験を積むほどに軽くなっていった。次第に気遣いとやりたいことのバランスが取れていき、ヘアメイクとして極めるべきことがあることに気づけたからだという。

藤原美智子はなぜ突出した存在になったのか

30代になると、女性誌では「藤原美智子のメイク」がたびたび特集として組まれるようになり、美の秘訣を語るエッセイの連載も持つように。

時は、華やかなりし90年代へ。女性の自立や生き方の多様化が進み、『anan』『MORE』『コスモポリタン』などの女性誌では「キャリアも恋もおしゃれも自分次第で手に入れられる!」といった前のめりな文言が踊っていた頃だ。

キャリアの初期から異色といっていい活躍ぶり。同業者たちとは異なる道を進んでいたように映る。なぜ、藤原さんだけが異例の存在になりえたのか。

「30年来の友人であり、20代の頃から雑誌を一緒に作っていた、美容ジャーナリストの齋藤薫にも同じことを聞かれました。そんなの自分ではよくわからないって答えましたけど」

しかし、美容と生き方を絡めたコラムで今も女性たちに熱烈な支持を得る大御所美容ジャーナリストの齋藤氏は、後に自身のコラムで藤原さんが突出した理由をこう分析している。

「360度に配慮する人。(中略) 撮影が滞ると『ねえねえ、こうしたら?』と現場の雰囲気を瞬時によくしてくれるといった、さり気ない気遣いにどれだけ助けられたことか。モデルはもちろん、現場にいる人全員の行動と心情の変化を察知しながら見事に立ち回るのが、ヘアメイクの奥義であることを後進に伝えた人でもある」(WWDより)

雑誌編集者やカメラマン、ライターなど彼女と仕事をしてきた人々も、「藤原さんは、気配り・目配りの人である」と異口同音に言う。誰にでも分け隔てなく、決して人の悪口は言わず、大御所になっても変わらず仕事に真摯……etc. まずは、その人柄を称賛する声は多い。

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