「私は、皆さんが驚いたことに驚きました(笑)。たかが、引退と解散です。理由を聞かれて、そのたびにもっともらしい言葉をひねり出しましたけど、ほんとはたいそうな理由はないんです。『もう、やり尽くした。次行こう』と」
今回の決断について、藤原さんはそうさらりと振り返る。
具体的ではなかったが、数年前から引退や解散自体は頭に浮かんではいたという。
「昨年10月のある日、長年連れ添ったマネジャーが事務所で1人仕事している背中を見て、『今後どうしたい?』という言葉がふと口をついて出ました。
コロナになってリモートワーク中心でしたが、今後、状況が好転したところで、毎日出社するような元の生活に戻りたい? 戻りたくないだろうなと。それなら、事務所設立31周年にあたる今年4月で解散するのがちょうどいい。『私、ヘアメイクもやめるわ』と伝えたら、マネジャーはそちらのほうに驚いてましたけど」
雑誌の黄金時代に、20代で頭角を現す
藤原美智子さんは1958年、秋田県横手市で、薬局を営む父と美容師の母の元に生まれた。働く母の背中を見て育ち、高校卒業後は美容専門学校へ。在学中、「母の人生をそのままなぞるのはつまらない。もう少し冒険したい」と思いはじめた矢先、ヘアメイクアーティスト・松永タカコ氏のアシスタントとして採用され、そのキャリアをスタートさせた。
3年間のアシスタント期間を経て独立すると、雑誌や広告媒体からのオファーが引きも切らぬように。彼女が仕事を始めた1980年代はバブル期であり、雑誌の黄金時代のはじまりでもあった。数々の雑誌が創刊され、社会問題からカルチャー、ファッションまで雑誌が世間の流行やオピニオンを牽引していた。そんな中、まだ過渡期にあったヘアメイクやスタイリストといった職業も少しずつ確立されていく。
「巧いのに速い」と各所で評判を呼んでいた藤原さんは、みるみる頭角を表した。
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