「ヒトが大切」対外アピールで現場疲弊の本末転倒 来年から義務化「人的資本の開示」に疑問の声

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では、開示情報を受け取る株主・投資家は、どう受け取めているのでしょうか。今回の人的資本開示には「株主・投資家が人的資本の情報を必要としている」という前提があるわけですが、実際はどうでしょうか。

外資系投資ファンドの運用責任者は、「これまでも、投資先企業に非財務情報の開示を強く要求してきました。人的資本についても、対応は同じです」と前置きしたうえで、次のように本音を語ってくれました。

「当社はさまざまな業種の数百社に投資しており、各社の事業内容を詳しく把握しているわけではありません。ですので、『こんなすごい研修をやってます』とか『資格保有者がたくさんいます』と報告されても、チンプンカンプンです。人的資本開示は、投資判断にほとんど意味がありません」

では、株主・投資家は、どうしてチンプンカンプンで無意味な情報の開示を投資先に要求するのでしょうか。この外資系投資ファンドの担当者は、「(世界的に)そういう方針だから」ということでした。国内生命保険の運用担当者は、次のような事情を教えてくれました。

「長く日本企業は、メインバンクや監督官庁にだけ目を向けて、株主を軽視してきました。いまでも株主軽視の経営者がたくさんいます。SDGsやら人的資本やら、中身はどうでもいい。われわれ株主にちゃんと向き合って、要求に真摯に対応してくれるかどうか。企業の姿勢は、しっかり見るようにしています」

「積極的周回遅れ」が得策

企業にとっても、株主・投資家にとっても、実質的な意味が乏しい人的資本開示。もちろん、ルールとして義務付けられる以上、企業には「対応しない」という選択肢はありません。どう対応するべきでしょうか。

ここで、複数の人事・IR関係者が指摘していたのが、「積極的周回遅れ」。つまり、他社の様子やトレンドを見極めてから、現実的な対応をしていこうというアプローチです。

「国・東証に開示項目をビシッとルール化してほしいのですが、これは期待薄。当社では、来年は最低限の開示をし、各社がどういう開示をするのかウォッチし、無理のない範囲で対応していきたいと思います。“積極的周回遅れ”というところでしょうか」(素材・人事担当者)

「人的資本の“経営”と“開示”を分けて考えるべきではないでしょうか。当社でもヒトが何より大切なので、教育投資や健康経営にはしっかり取り組んでいくつもりです。しかし、情報開示については、株主・投資家やマスコミから後ろ指を指されない程度に、周回遅れで対応していきます」(精密・人事部門責任者)

企業の経営者や人事・IR担当者には、「世界的流行だから」「ルールだから」と流されるのではなく、実質的に企業を良くするよう、冷静な判断が求められます。

日沖 健 経営コンサルタント

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ひおき たけし / Takeshi Hioki

日沖コンサルティング事務所代表。1965年、愛知県生まれ。慶應義塾大学商学部卒業。日本石油(現・ENEOS)で社長室、財務部、シンガポール現地法人、IR室などに勤務し、2002年より現職。著書に『変革するマネジメント』(千倉書房)、『歴史でわかる!リーダーの器』(産業能率大学出版部)など多数。

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