それほど労働がつらかったのか、紫式部……と同情を禁じえない。彼女にとって「宮中で働くこと」はそれほどまでにつらいことだったらしい。といっても、ほぼ同時代を生き、ほぼ紫式部と同じような階級にいた清少納言は、実は「宮中で働くこと」をかなりプラスに捉えている。『枕草子』に以下のような記述があるのだ。
生ひ先なく、まめやかに、えせざいはひなど見てゐたらむ人は、いぶせくあなづらはしく思ひやられて。なほさりぬべからむ人のむすめなどは、さしまじらはせ、世のありさまも見せならはさまほしう、内侍のすけなどにてしばしもあらせばや、とこそおぼゆれ。(『新版 枕草子』清少納言、石田穣二、KADOKAWA、1979年より原文引用)
<筆者意訳>将来性なんてないのに、ただひたすら見かけ倒しの幸せを夢見る女性。そんな人ってうっとうしくて嫌じゃない? やっぱり良家のお嬢さんは、宮中で勤めさせたほうがいい! だって世間を知ることができるから。典侍などの役職にしばらく就いてもらったらいいと思う。
この後「宮中で働く女を嫌がる男もいるけれど、妻が宮中で働くとこんなメリットがあるのよ!」と働くメリットを清少納言はひたすら披露する。
清少納言も極端な思想の持ち主かもしれない。が、それにしたってこういう文章を読むと、紫式部の「みんな私が宮中で働いてること、どう思ってるのかしら~~~!」「絶対に恥ずかしいって思われてる~~~!」という嘆きは、やや自意識過剰とも思える。紫式部と清少納言の性格の差が出ている箇所なのだろう。
自己肯定感は低く、プライドは高い紫式部
清少納言は、宮中の仕事内容を『枕草子』に書いた。一方で紫式部は、宮中で仕事することで『源氏物語』の執筆をおそらくは一時期中断していたのだろう。それはなんだか2人の文筆家としてのキャラクターの違いが見えるようで、面白いなと思う。働いてネタが増えるタイプの人もいれば、働くと疲れて書く気力がなくなるタイプの人もいる。
紫式部の日記を読んでいると、どうも彼女は自己肯定感が低く、プライドは高かったのではないか、と思えてならない。しかしそんな彼女だからこそ、女房勤めはすごく疲れたし、一方で物語のなかではさまざまな女性像を描くことができたのだろう。
さて、『紫式部日記』で有名なのは、紫式部が清少納言の悪口を書いていた箇所ではないだろうか。実際、紫式部は清少納言をどのように評していたのだろう? 次回は『紫式部日記』の清少納言評について見てみたい。
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