「何かにつけて、いつも他人のあら探しをする人間はいるものだ。そういう人たちは、仮に私が大学やロースクールに行っていなければ、今度は私がいかに多くのものを失ったのかと言い始めるだろうね。
批判したいだけの人はいるんだよ。だけど、私の見解が矛盾していると思ったことは決してない。私は、1度だって誰にでも当てはまるような、ありきたりな意見を述べたことはないから。
似たような未来を求めて狭い世界を目指していいのか?
私が誰1人大学へなど行くな、と言ったのならば、それは大いなる矛盾だと認めよう。だけど、私が言ったのは、みんながみんな同じことをするべきではないということ、それだけだ。
きわめて優秀な若者たちが、一様に肩を並べて一流の大学へ行き、寄り集まってちまちました課題に取り組んだかと思えば、卒業すると、似たような未来を求めて狭い世界の中に入っていく。こんな社会は、なんだかおかしいとは思わないか?」
「人が何をすべきかという点において、私たちはみんな同じようなことを考えている。この事実に気づいたとき、私は少なからずショックを受けたよ。この考えが、社会や学生たちを、がんじがらめにしてしまってるって思ったからだ。
私自身、大学、そしてロースクール時代を振り返ってみると、ひどく後ろめたさを覚えるんだよ。もう1度同じようにやり直すことはできるだろう。その場合、昔よりも何ができるのか、必死になって考えなくてはいけないと思うんだ。こんな風に自分に問いかけてみるだろうね。
なぜこれをしているのか?良い成績を得るため、テストの点数を稼ぐためにしているのか?それとも名誉が欲しいとか?法律が大好きだからこんなに夢中になっているのか? とね」
「納得できる答え、できない答え、どちらも出てくると思う。そのうえで、20代前半の自分を振り返ってみると、その当時は、間違った答えに必死にしがみついていたことに気づかされたんだ」
ティム:これから先、教育はどうなっていくと思いますか?(私は、この質問をいちばん先に収録しようとするところだったが、ピーターが構成を変えた)。
「私は教育という言葉そのものが嫌いなんだ、ものすごく抽象的に聞こえるからね。それより、『学ぶ』という言葉の方を大いに支持したい。『教育』というものに人々が寄せる信頼や、その言葉のあいまいさには、ずっと疑問を感じてきたんだ。
だから、こんな風に根ほり葉ほり聞いてみたくなってしまう。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら