もはや患者の「苦痛に寄り添えない」日本の危機 効率化の中で忘れ去られていく「看護の本質」

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日本赤十字看護大学の川嶋みどり名誉教授(撮影:梅谷秀司)

川嶋:150年前にナイチンゲールが言っています。「看護は自然が病人に働きかけるように最善の状態に病人を置くことであって、真の看護とは何であり、真の看護でないものは何であるかとはっきりさせる」と。看護業務の拡大という問題への重要な示唆になる言葉ではないでしょうか。

看護の真価を認識し、看護を進化させるのは何か。高度な医療技術に沿った看護なのか、経営と効率性重視の道を歩くのか。それとも、患者の治癒力を高める独自の技術を開発するのか。それぞれが、主体的に考えなくてはなりません。

看護師は患者さんに繰り返し触れることが大事

──看護の本質を守るために必要なこととは、何でしょうか。

川嶋:自分が理想とする看護を実践できる量が減っていることを、なんとかしないといけません。看護師が本当の看護が何なのか、確信を持てる実践量が必要です。患者とともに喜ぶ体験がなければ確信を持つには至りません。看護師は問いを立て、どういう看護をしたらいいのか考えて実践して確信にもっていく。

看護って何? 看護と介護はどう違うの? どこに共通点があるの? それを答えられなければならない。看護師は、患者さんが自然に治る力をいかに引き出すか。それがいちばんの基本となります。教科書に「脳梗塞を起こして身体が硬縮している」とあっても、実際の患者さんをみないと硬縮がどんなものか、わからない。触って初めてわかる。その体験が大事です。温度、湿度、呼吸のリズム、声のトーン、におい、汗、お通じ。15分でも患者さんに触れればまったく違う世界が見えてきます。

看護師はその人を理解するため、繰り返し、繰り返し、反復トレーニングを積まなければならない。触れることが大事なのです。看護師は患者の状態を的確に把握して、患者に指導し、看護を実践できるナースとして、医師と対等に患者さんのことを話し合えなければなりません。

(解説)
川嶋先生が看護師になったばかりの1950年代の頃は、看護師には結婚の自由がない時代だった。看護師は独身寮に入ることが強制され、寮を出るときは看護師を辞めるときだったという。結婚したら、出産したら、なぜ、看護師を辞めなければならないのか。そうした疑問が膨らんだ川嶋先生は寮を飛び出し、闘った。1957年に仲間と病院内保育所を作り、同年に結婚した川嶋先生自身も子どもを預けて働いた。夜勤のときは、「あなたの子どもは私の子ども、私の子どもはあなたの子ども」と助け合いながら働き続けた。
この頃、全国的にも看護師は夜勤の間にたった1人で数十人の患者を看て、休憩はとれない状況。1959年から1960年にかけて全国の病院でストライキが起こっていた。1968年には1人夜勤では患者の命だって危ないと「2人で夜勤をし、夜勤は月8日以内で」という「ニッパチ闘争」が新潟県で起こった。病院ストによって得た結婚、育児の自由を保つうえでハードルとなる夜勤日数改善と夜間の人員確保のための闘争でもある。
この頃、川嶋先生もストライキを行い、街でビラを配るなど運動を広げた。「これは、看護師の人間宣言。看護師だって人間だから、結婚も出産もする、仕事に見合う賃金もほしい」と、前近代的だった労働からの脱却を図った。
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