もはや患者の「苦痛に寄り添えない」日本の危機 効率化の中で忘れ去られていく「看護の本質」
川嶋:高齢患者や重症度の高い患者が増加し、入退院が頻繁にあると、書類を作る業務も多くなります。看護師は超過密・高速回転で働いている。忙しさのなかで、電子カルテの入力のためパソコンばかり見て、患者を見ないという事態にも陥っています。器械の数値に頼り、五感を使って人間を知ることを前ほどしなくなったのです。
これは危機的状況です。看護の基本は、患者さんの苦痛の緩和です。それは、がんの痛みをモルヒネで調整することばかりではない。看護師はマッサージや足浴を行うなどの「手技」によって苦痛を緩和することができ、そうやって生活の質を高めるケアこそ、看護師が独自にやらなければならないのです。
看護は、人のお世話は省略できるものではない
──入院日数の短縮化で治りきらない患者を「追い出し」た結果、すぐまた悪化して入退院を繰り返す例もあります。
川嶋:短い期間で病院を転々とするのでは、患者さんにも家族にも負担がかかるばかりか、かえって医療費を増大させる悪循環となっています。医療経済を考えたり、経営者の立場にある人の中には、患者さんが「人間」だということを忘れている人もいるのではないでしょうか。
人間はもともと非効率な生き物です。入院期間の短縮は、人間のリズムに反するスピードです。より、のんびり、ゆっくりとなる高齢者のリズムとも真逆です。職場のテンポも病院のテンポも高齢患者のテンポと逆を行っている。
そもそも看護は市場原理に合いません。人間の世話というものは手間がかかり、省略化できるものではありません。高齢になればなるほど時間がかかるのは当たり前で、その手間を省こうとするから、問題が起こるのです。
──団塊世代の全員が75歳以上の後期高齢者になる2025年を前にして、すでに高齢で動けない患者が医療現場に増えていますね。
川嶋:医療技術が進み、救命・延命できても脳の機能を損傷していて、重い障害を負いながら生きていく患者さんをフォローすることが増えています。これからは、障害看護に注力する必要があります。そして、介護職との協働と看護の専門性をどうマッチさせるかが課題となり、病気を克服するための看護と、障害や難病を抱えながらQOL(生活の質)の向上を目指すケアが必要となります。
もはや病名だけで患者さんを看ることに、限界が生じています。だからこそ、看護師は特定の専門分野だけ秀でてスペシャリストになることより、ジェネラルに1人ひとりの特徴をつかんだケアができないといけないのです。
高齢であることによる異常も出てきます。トイレが近くなることも、その1つととらえなければいけません。耳も遠くなります。病気の後遺症で障害があれば、新しい生活のトレーニングが必要です。
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