大都市エリートが民主主義を滅ぼしてしまう理由 「新自由主義」への反省と民主的多元主義の再生

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ヴォーゲルは、日本の民主主義が壊れるとしたら、その要因となるのは「軍国主義の脅威」などではなく「集団の団結力の拡散」だと指摘し、警鐘を鳴らしていた(156頁)。中間団体を作る機能が損なわれ、国民がばらばらになってしまい、各層の利益が公正に反映されなくなることを恐れたのである。

ヴォーゲルの懸念は1990年代後半以降、的中した。日本の場合は、「上からの新自由主義革命」が国内で生じたというよりも、ドーアなども指摘するとおり、アメリカなど欧米諸国の新自由主義化に無批判に追従したことが主な要因だと言えよう。ヴォーゲルが称賛した日本型民主的多元主義の道を捨て、「グローバル標準」を旗印とし、新自由主義的構造改革を推し進めた。

本来なら左派やリベラル派は、新自由主義化に対抗する中心的勢力になるべきであったが、日本ではそうはならなかった。いくつかの要因が指摘できるだろうが、「1940年体制」論の影響もその1つである。民主的多元主義の日本版だともいえる「日本型市場経済」は、戦時経済の名残であり否定すべきものだ、集団主義的で遅れたものだという議論が高まった。こうした議論に影響され、左派やリベラル派でさえ新自由主義的改革を肯定的に受け取ってしまった。

リンド氏が本書で指摘しているのは、欧米諸国で戦後、国民福祉と安定した経済成長を可能にしたのは日本と同様、戦争の経験に端を発する、民主的多元主義と称すべき政府主導の調整型の社会システムだということだ。つまり、「1940年体制」は日本だけではなかったのである。またリンド氏は、庶民各層の声を政治に十分に反映させる公正な社会の実現には、こうした社会システムの構築しかありえないと論じている。

これらは、現代の日本にとって、新自由主義以前の「日本型市場経済」や「日本型経営」といったかつての調整型の社会システムの再評価を迫るものだと言えるであろう。

民主的多元主義の可能性

以上のように、本書は、新自由主義的政策の進展に伴い、管理者(経営者)エリート層と庶民層との間の力のバランスが崩れ、経済、政治、文化の各局面で諸種の不公正な事態が生じていることを明らかにする。現状に対する解決策として本書が期待するのは、現代の文脈における民主的多元主義の政治の再生である。そして、これを可能ならしめるために、現行の新自由主義に基づくグローバル化推進路線の転換が必要だと本書は論じる。

もちろん、これまでの路線を改め、現在の複雑な状況のなかで、民主的多元主義の政治を再構築することは多大な困難を伴う。しかし、各国において国民各層の声を公正に反映する政治を可能にするほかの方法がありうるだろうか。本書はこのように問いかける。新自由主義的な改革に明け暮れてきた欧米諸国や日本に新しい視点を与え、自由民主主義の意味や条件を考えさせる貴重な1冊だと言える。

施 光恒 政治学者、九州大学大学院比較社会文化研究院教授

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せ てるひさ / Teruhisa Se

1971年福岡県生まれ。英国シェフィールド大学大学院政治学研究科哲学修士(M.Phil)課程修了。慶應義塾大学大学院法学研究科後期博士課程修了。博士(法学)。著書に『リベラリズムの再生』(慶應義塾大学出版会)、『英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる』(集英社新書)、『本当に日本人は流されやすいのか』(角川新書)などがある。

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