大都市エリートが民主主義を滅ぼしてしまう理由 「新自由主義」への反省と民主的多元主義の再生
3番目は、戦後日本社会を理解する有益な視点を提供するという点である。リンド氏は、民主的多元主義や新自由主義を論じる際に、日本についてほとんど触れていない。だが、リンド氏の議論は日本にも当てはまるところが多い。
「一億総中流」ののち、中間層の暮らしは不安定化
戦後の日本は、高度経済成長を経て、比較的平等かつ安定的な発展を享受した。1990年代前半までに「日本型市場経済」「日本型経営」と称される特徴的な経済の仕組みをつくり出し、「一億総中流」と称される社会を実現した。中間層が主役の「ミドルブロー」の大衆文化も栄えた。しかし、1990年代後半以降は、欧米にならった新自由主義の経済運営を取り入れ、構造改革を繰り返し、現在では中間層の暮らしは不安定化し、劣化している。
かつての戦後日本社会が安定した経済を享受できたのは、本書でいうところの民主的多元主義を日本なりに作り上げたからだと理解できる。リンド氏は、前述のとおり、欧米諸国において資本家層と労働者層の妥協が生じたきっかけは2度の世界大戦の経験だと論じる。それが第2次大戦後の福祉国家的システムにつながっていったと考える。
日本についても、このように見る論者がいる。例えば、英国の日本研究者ロナルド・ドーアである(『幻滅─外国人社会学者が見た戦後日本70年』藤原書店、2014年、144─146頁など)。あるいは批判的な視点からではあるが、野口悠紀雄氏の「1940年体制」論も同様の見方をとると言える(『1940年体制─さらば戦時経済』東洋経済新報社、1995年)。
つまり日本も、リンド氏が本書で描いたような道筋をたどったと理解することができる。第2次大戦を戦い抜くために政府が経済の統制・調整に乗り出し、資本家と労働者、および資本家相互の妥協を作り出した。この体制が戦後の社会民主主義的な「日本型市場経済」につながった。一種の民主的多元主義の形態だと言えよう。
エズラ・ヴォーゲルは『ジャパンアズナンバーワン─アメリカへの教訓』(広中和歌子・大本彰子訳、TBSブリタニカ、1979年)を著したが、このなかで描かれているのは、まさに民主的多元主義がうまく機能している日本の姿である。ヴォーゲルは、日本ではさまざまな中間団体の活動がさかんであり、アメリカよりも日本のほうが民主的であるとまで述べた。「政治に多様な利益を反映させ、それらの利益を達成する統治能力があることが民主主義の定義であるならば、日本はアメリカよりも民主主義がずっと効果的に実現されている国家であるといえよう」(122頁)。
ヴォーゲルは、当時の戦後日本社会では、政府が、多様な中間団体の利益に配慮し、資本家と労働者、さまざまな業界間、大都市と地方、地域間を巧みに調整していると指摘した。「利益の分配の側面から見ると、日本ではフェア・シェア(公正な分配)がなされているといえる」(同頁)。リンド氏のいうところの民主的多元主義の一形態が日本で根付き、欧米諸国に比べても安定的に機能し、「一億総中流」と称された社会をつくり出したのである。
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