向かったのは高田馬場、ひよこマークがついたエステー本社ビル。そこで鹿毛氏に会うのだから「馬、ひよこ、鹿でとんだ動物デーだな」と考えていると、そこに「黄色い鳥」の被り物がよく似合う男が現れた。
「最近は被って出掛けることも少なくなりましたが、かつてはこれでどこにでも出て行っていました」と語り出した鹿毛さん。実際、この格好で屋外ライブ会場の仮設トイレに「消臭力」を並べまくったことも、自身がテレビCMに出演したこともあった。聞くほどに変人ぶりがにじみ出てくるが、この男のルーツはどこにあるのか。
鳥男が初めて世界の広さを知ったのは、大学に進学したときだった。遊びほうけた高校時代、成績は450人中440番あたりをさまよっていたが、育ての親であるご尊祖父が「康司はもうダメだ」と漏らすのを耳にしてしまい、一念発起した。毎日17時間勉強し、ギリギリで早稲田大学に合格。北九州の筑豊から、東京へと飛び出した。
ただ、ピンチは続く。「入学後また遊び回ってしまい、ふと気づいたらゼミに入るための試験が近づいていました。友達が広告の亀井ゼミに入ると言うので僕もそこにしようと思ったら、彼は『厳しい試験があるんだ。しかも成績がよくないと、そもそもダメらしい』と。自分の成績では絶望的でした」。
普通ならここで、さっさとほかのゼミの情報収集に舵を切ろうと思うだろうが、鹿毛さんは違った。「懇意にしてくださっていた英語の先生に『僕、亀井ゼミに入りたいんですが、なんとかなりませんか』と言ってみました。そうしたら『じゃあ、言っておくよ』と言ってくださって。後日ゼミの面接に行くと、亀井先生が言うんです。『あなた、成績悪いですね。しかし、教授推薦ですからね……』と。まさかそんなことになっているとは思いませんでした(笑)」。
MBAで身に付けたサバイバル術
めでたく希望のゼミに入ることができた鹿毛さん。常識的な考えに屈し諦めてしまうのではなく、できるかもしれない方法を考える。そんな鹿毛スピリットは、この頃すでに芽を出していた。
新卒で雪印乳業に入社した鹿毛さんは、ひょんなことからMBAの社費留学に挑戦することを決意する。だが本流事業のエリートでもない社員に、会社が簡単にカネを出すはずもない。鹿毛さんは帰宅後には座学、日中には移動の車中でリスニング練習に励み、さらに当時の上司に「どうしても行きたい」という思いをしつこく語って本部に働きかけてもらった結果、その切符をつかむことができた。
ところが、本当の試練は留学した先にあった。「あるとき、グループで取り組まなければならない課題が出ました。そこでクラスのメンバーに『May I join?(仲間に入れて?)』と聞いたら、『No(ダメ)』と言われたのです。英語のできない日本人をグループに入れると成績が悪くなるから、まあ当然です」。
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