高学歴化でも「日本の労働生産性が上がらない」謎 オックスフォード大の教授が指摘、海外との差

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日本の教育の質が低いという説もありうるが、それも正しくはない。OECD(経済協力開発機構)が2011~12年に実施した国際成人力調査(PIAAC)は、日本の成人が読解力でも数的思考力でも1位で、得点の散らばりも小さいことを示した(下記図参照)。

この調査は、仕事や日常の生活で役に立つと考えられる成人の基礎的な知的能力を測定することを目的としている。OECDの調査結果が正しいとすれば、日本社会全体の人的資本が国際的に見ても高いことが確認できる。

直接の証明は難しいが、日本における学校教育や職場での職業訓練、あるいは自己学習の成果と言えるだろう。ただ、それが市場における競争や交換を通じて、労働生産性や賃金の上昇には結びついてこなかったのである。

開かれた人的資本市場の特徴とは?

そうだとすると、別の答えが必要になる。そして、謎解きの鍵は、日本の(閉じた)人的資本市場における交換と競争の関係にある、というのがここでの仮説である。

思考実験として、人的資本市場(大学入学市場、就職市場、転職市場・昇進市場)がグローバルに開かれているモデルについてはじめに考えてみよう。

まず、大学入学市場では、質のより高い学生を求める競争がグローバルに展開している。入学者獲得のグローバル市場に、その国の大学入学市場が組み込まれているということだ。

その場合、優れた学生を集めるために、大学間では、よりコストを要する質の高い教育や恵まれた研究教育環境の提供、授業料をめぐる競争が起きる。そして競争力の高い大学ほど、比較的高額の授業料でも質の高い学生を集めることが可能となる。

その結果、学生募集や外部資金調達で有利になる、質の高い教授陣を高い賃金を支払って招くことができる。奨学金の給付の面でもその資金力が力を貸す。英語圏の大学で生じる質を高める循環的な現象だ。

そこでは、学生市場も教員市場も外部資金市場も国境を越えて開かれている。それだけに、そこでの競争からの脱落は、優れた学生、優れた教員、外部資金の獲得・調達で不利な立場に振り落とされることを意味する。

つまり、市場での競争力を持つグローバルな、「ワールドクラス」の大学は、市場での交換において有利な交渉力を持つことになる。その結果が、市場が競争の場になることで生じる不平等である。グローバルな大学ランキングはその表象といえる。

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