1300年前に「ジャニーズ」的な歌を詠んだ男の正体 「和歌=気難しい」と思う人に伝えたい意外な真実

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さて大伴家持といえば、恋の歌をさまざまな女性とやり取りしていることでも有名だ。

なでしこが花見るごとにをとめらが笑まひのにほひ思ほゆるかも(巻18・4114)
(なでしこの花を見るたび、彼女の素敵な笑顔を思い出してしまうんだ)

なんというロマンチストな歌! 日本人男性と思えないキザっぷりである。しかしそれもそのはず。当時はまだ奈良時代、のちの平安時代ほど和歌のルールがはっきり決まっていなかった時代だ。

鳥や花といったモチーフを、和歌でどうやって取り入れるのか? そんな和歌の「修行」を頑張っていたのだろう。

上の歌も、恋愛の歌と考えるとロマンチックだけど、一方で「なでしこ」を和歌に詠むとしたら?という勉強の歌でもあったのだろうと想像できる。

ド直球のジャニーズみたいな和歌

あるいは、若かりしころはこんな歌を年上女性につくったりもしている。

百年に老舌出でてよよむとも吾は厭はじ恋は増すとも(巻4・764)
(あなたが100歳になっておばあちゃんみたいに舌が出て、腰が曲がっても、嫌いになったりしないよ。もっと恋しくなることはあるかもだけど)

この和歌を受け取ったのは紀女郎。彼女の名誉のために言っておくと、年齢はおそらくまだ30代くらいだったはずだ。しかし年上であることを気にしたのか、「もう年取っちゃったわ」という歌を詠んでいる。

それに対しての家持の返歌が、上のとおりだ。ド直球のラブレター。ジャニーズみたいな和歌を詠むじゃないか、とこの歌を見るたび思う。

ちなみに当時、家持は妻の坂上大嬢(さかのうえのおおいらつめ)を旧都に置いて、単身赴任でやってきたのである。おそらく同じく官職に就く女性だった紀女郎もまた、恭仁へやってきていた。

しかし平城京へ都が戻ってきてから、ふたりの歌のやりとりは万葉集に収録されていない。だからこのふたりのやりとりは、家持の若いころの年上女性との恋愛……くらいに紹介されやすい。

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