和田秀樹「要介護になる人・なりにくい人の差」 受験勉強でもシニアライフでも根性論はいらない
もし学力というものが、頭に知識と思考パターンを身につければ得られるものであるならば、合理的かつ効率的にすればいいのではないかというのが、当時の私の考えでした。これは、スポーツなどの競技の成績は根性だけではよくならないというのと同じ考えです。それは現代人ならよくわかると思いますが、かつては「スポ根」という言葉があるぐらい、スポーツの能力は根性で高まると思われていました。学力も同じだと考えられていたのです。
ところが今でも受験生も教師もこう考えている人が多いのです。スポーツの世界ではとっくに根性論が廃されているのに、勉強の世界ではいまだに根性論が幅を利かせています。学力(ペーパーテスト学力)は根性だけでは上がりません。当時は今以上に私が提案した合理的な考え方が過剰に反応されてしまいました。いずれにせよ、時間が過ぎ去り、スポーツの世界では根性論で語る人はほとんどいなくなりました。
目標やターゲットが明確にあるのであれば、一番楽な方法で達成すればいいのです。高齢者の生活も同じだと私は思います。根性論は不要です。少しでも楽な方法があれば、それを活用すればいいのです。楽することに罪悪感を覚える必要は一切ありません。「おっくうだから外出はやめよう、食事も簡単にすませよう」となってしまうほうが問題です。
「面倒だ」「おっくうだ」と思いそうになったら、楽にできる方法はないかと考える習慣を身につけましょう。そして、少しでも「やりたい」と思ったことは実行するのです。もちろん介護を含め、人の手も上手に借りることです。それができることが、多く残った幸せな高齢期を呼び込むと私は確信しています。
老いを生きることは障害物競走
私は、老いを生きるということは障害物競走にどこか似ていると思っています。年をとっていくと、さまざまな困難がハードルのように現れます。トイレが近くなったり、もの忘れが多くなったり、体力が落ちたり、膝が痛くなったり、とにかく何をするにしてもおっくうに感じさせるものが次々と生じます。
そのような身体的あるいは精神的、あるいは認知的なハードルが年を重ねるたびにいくつも立ち現れます。しかし、こんなハードルにひるむ必要はありません。華麗に飛び越えるというようなことを考えずに、上手に乗り越えればいいのです。乗り越えさえすればいいと思えば何歳になってもできるし、たとえ認知症になってもできます。
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