葛西:確かにそうですね。私は人間学というものは大事だと思います。しかし、人間学というもの、あるいは社会学というものが学問として劣化している点も問題だろうと思います。何が劣化の原因かといえば、これもあくまで私見ですが、たとえば人文科学、あるいは社会科学と言いますよね。科学という言葉を使うことによって、人間そのものを忘れ去ったようなところがあるのではないでしょうか。
私は大学で、文科Ⅰ類というところにいました。そこは主に法学と経済学のどちらかに進む学部だった。その進路を決めるためのオリエンテーションで法学部の先生が言ったのは、「経済学部は『経済は科学だ。それに対し法律は技術。科学は技術よりも上なんだから、志のある者は経済学に来い』と、きっと言うだろう。しかし、そのようなペテンにだまされてはならないと。法律学というのは、帝王の学問だ。科学者は全部、帝王に従うものなんだ。だから君たちは、法学部に来なければならない」ということでした。
面白いことを言うなと思って、法学部へ行きましたが、結果としてみると、これは正しくなかった。法律学が経営者にとって役に立つか、あるいは国の方向を考えるときに役に立つかといえば、必ずしもそうではありません。やっぱり最後に役に立つのは人間学なんです。人間学というのは、人間をまっすぐ見るべきということです。それは宗教、哲学という分野のものだと思います。
最近、全部科学になっていることが問題だと思います。政治学というのは、有権者の投票行動を分析する、統計学の応用みたいになっている。だから私は、今おっしゃった人間学の分野が科学を装おうとしたところに、今の間違いがあると思っています。
制度を変えても問題は解決しない
人文学は人文学であって、人文科学だと言わないほうがいい。科学というのは、所詮は言ってみれば、法則性の世界です。人間とは、大きな意味での法則性はあるかもしれないですが、むしろ法則では捉えにくいものです。その捉えにくい人間をきちんと直視すべきだと思うのです。
教育改革ということでは、私は2006年に発足した、政府の教育再生会議の委員をやっておりました。そこでは、ありとあらゆる意見が出てくる。表面的で、現象的な議論が多く出てくるんです。その議論を、いちいちとりまとめることはおそらく有害です。
山折:有害ですね。それは政策らしき政策の袋を作るだけの話であって、けっして実現しないわけですから。
葛西:教育改革ということで、今、焦点になっていることの1つにグローバル化という議論があります。グローバル化するために、東大は秋入学のセメスター制にすると言った学長がいますが、これはいかがなものかと思います。なにか制度論みたいな話ばかりをする。何か制度を変えると問題が解決されると思っているようなところもあります。教育委員会がダメだ、という議論もずっと続いている。確かに問題は多いですが、教育委員会になにか手を加えたら教育が変わるのかと言ったらそうではない。やっぱり最後は人間です。誰が何をやるかということを、突き詰めていかなくてはいけないのです。誰が何をやるか、に尽きる。そういうことをそれぞれの人が自分で考える習慣を身につけるような教育が必要だとつくづく思います。
冒頭でおっしゃった人間とは何か、日本人とは何か、そして、自分は何かというところを懸命に考える。これが基礎です。私は自分がわかるためにも、日本人がわかるためにも、人間がわかるためにも、自分の実体験をコアとして、そのコアにいろいろなものを身につけていかないといけないのだと思います。大きな雪だるまであっても小さなコアを作ってから転がさなければ、大きくなりません。そこのコアの部分を教育で与えなくてはいけない、ということだと思うんです。
(撮影:梅谷秀司)
※ 後編は3月26日(木)に掲載します。
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