「創価学会」が巨大教団となり得た「超戦略」の中身 なぜ韓国では「新宗教」が伸びなかったのか
果たしてこうした出来事が、今後宗教の世界全般にどのような影響を与えるのかは分かりません。ただ、日本では、戦後、時代を経るにつれて、政教分離をより徹底すべきだという声が強くなっています。首相の靖国神社参拝が問題視されたのも、その一環です。
そこに宗教と世俗の論理との対立ということを見ていくならば、統一教会問題も宗教の地政学と深くかかわっている可能性があります。より広い視野から、この出来事を見ていったら、どういう問題が浮上してくるのでしょうか。宗教の地政学を考えることは、現在においても重要な課題なのです。
地方から出てきた人を狙い撃ち
今や世界宗教は、それぞれが地域を棲み分け、地政学的には安定した状態にあるように見えます。キリスト教やイスラム教、あるいはヒンドゥー教や仏教は、それが広がった地域から拡大することもなければ、縮小することもないようです。
しかし、より細かく見ていくならば、さまざまな地域で地政学的な変動が起こっています。また、宗教同士の対立も、さまざまな形で起こっています。
近代の特徴の一つは、宗教がしばしば世俗の権力と対立関係に陥ることです。近代国家は、政教分離を原則とし、宗教が権威を持つ、あるいは権力をふるうことを強く警戒します。
その極端な例が、現在の中国における宗教政策でしょう。共産党政府は、1950年代に、宗教として認めた道教、仏教、イスラム教、キリスト教のカトリック、そしてプロテスタントの5つについては、「愛国宗教組織」を成立させています。宗教を国家の管理下におこうというわけです。
中国は社会主義の政権でありながら、市場経済を取り入れ、急速な経済成長を実現しました。
経済成長と宗教の興廃とは密接に関係しています。私たちに身近な日本の例としては、1950年代なかばからはじまる高度経済成長の時代に、創価学会をはじめとする新宗教が急速に拡大していったことがあげられます。経済が発展することで、都市化が進み、労働力として地方からやってきた人々を、新宗教の各教団が布教のターゲットにしたのです。
都市に出てきたばかりの人々は、学歴が低かった人も少なくなく、安定した職に就くことができませんでした。中小企業や零細企業、町工場や商店に雇われるしかなかったので、生活は安定せず、日常の暮らしを支えてくれる助けを必要としていました。新宗教は、そこを巧みに突いたのです。
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