本当に日本三大悪女?頼朝の妻「北条政子」の正体 源頼朝亡き後、幕府を取り仕切った「尼将軍」

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小
源頼朝と北条政子
静岡県伊豆の国市にある源頼朝と政子の像(写真:極楽蜻蛉/PIXTA)
NHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の放送で、源氏や平氏の歴史に注目が集まっています。ドラマでは小池栄子さんが演じる、源頼朝の妻「北条政子」は、日本三大悪女の1人として名前が挙げられることがあります。北条政子はどんな人物だったのか。歴史学者の濱田浩一郎さんが解説します。

伊豆国の小豪族だった北条時政の娘

北条政子は、鎌倉幕府を開いた源頼朝の妻である。政子といえば、「尼将軍」として著名であるし、日本三大悪女の1人に数えられている(ほかの2人は、日野富子と淀殿)。しかし、政子は本当に悪女だったのだろうか。

政子は、伊豆国の小豪族・北条時政の娘として、生を受けた。母は、同じ伊豆の豪族・伊東祐親の娘であると言われている。ちなみに、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の主人公・北条義時は、政子の弟である。

政子は、保元2(1157)年に生まれた。政子の人生の転機となったのが、源頼朝との結婚だ。頼朝は平治の乱(1159年)で平家に敗れた直後、伊豆に流罪となっていた。頼朝は伊東氏の監視のもとにあったが、そこを抜けだし、北条時政のもとに身を寄せる。北条邸で頼朝と政子は出会い、恋に落ちたのだろう。

頼朝と政子が出会い、恋に落ちたころのことは、鎌倉時代後期に編纂された歴史書『吾妻鏡』(1186年4月8日条)に記載されている。それは以下のようなものだ。

次ページどんなものだったのか?
関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事