アントニオ猪木がテレビに遺した「多大なる貢献」 プロレスだけでなく各種ジャンルでスターだった
当選翌年の1990年にはイラクのフセイン政権によるクウェート侵攻が起きた。
当時、クウェートにいた日本人はイラクによって「人質」とされたが、猪木議員は自ら飛行機をチャーターしてイラクに乗り込み「平和の祭典」と称してプロレスなどの興行を行った。
この時も、各テレビ局は「ニュース枠」で猪木議員の行動を報じていた。
「無謀な行為」「スタンドプレーが過ぎる」などの批判も多く伝えられた。
しかし猪木議員はイベント後に、イラク当局との交渉を経て、人質を「全員解放」へと導いたのだ。
この人質解放はニュースでも大きく報じられた。常識の枠を飛び越える猪木さんに「テレビ報道」も時間を割くことになったのである。
ワイドショーやバラエティでも高い存在感
一方で猪木さんには、「金銭」にまつわるトラブルも報じられることがあった。
特に1994年には、猪木さんの元秘書、翌年にはかつての“盟友”新間寿氏から金銭にまつわる「告発」が行われ、今度は「ワイドショー」の格好の題材となったのだ。また1991年の東京都知事選への、出馬表明からの一転不出馬に関しても様々な憶測が、連日報じられていた。
ワイドショーにとっても「アントニオ猪木」は、視聴率の取れる存在だったのである。
さらに「バラエティ番組」にも猪木さんの影響は及んでいる。
誰もが知る存在である「アントニオ猪木」は、その強烈な個性もあり、「モノマネ」の格好のターゲットとなった。
春一番、井出らっきょ、アントキノ猪木、アントニオ小猪木など“猪木モノマネ”の芸人が多数出てきた。
これほど多くのモノマネ芸人がいる「本家」は他にいないだろう。
モノマネ芸人以外でも「元気ですかぁ!」「なんだこのヤロウ!」など猪木さんの決めゼリフ(?)は、誰がやっても「猪木だ!」とわかる定番のフレーズとなっていた。
そして「1・2・3、ダー!」のかけ声は、アントニオ猪木の現役時代を知らない10代20代の若い世代でも知っている“国民的フレーズ”といえるほど浸透しているのだ。
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